まとめも7日目ですか。

随分と、豪勢なものですが。

 

さて。

家族一行が帰る前の日、とかに。

あんた残りの日はどうするの?とか聞かれ。

やんばるの方に行こうかなとか思ったけど、

行って帰ってになってしまうから、とか。

言っておりました。

 

そこから何を察知したのか、お姉さまが誂えてくれた、

崖ツアー、に行くことになりまして。

 

場所は、八重瀬町と言うところの、道の駅?

調べると、南の駅、になっていました。

具志頭と書いて、ぐしちゃん。

 

そこから出る、山岳ツアー、的な。

ま、ガイド氏曰く、沖縄には山は無いと。

山の定義には足りない岡ぐらいしか無いのだ、と。

 

ま、そう言うことなのでしょう。

メット被らされて、命綱を腰に巻いて。

 

鍾乳石で出来た自然橋を渡ります。

地震が起きたら一発、とガイドは笑います。

そう言うものなのかしら。

 

体育館の前を通って、大きなお墓を脇に見て、

山道へ。

いきなり、祭壇…につかっていた石、と言うものがあり、

石ですよ、ただの。

ユタなりノロなりが、登れないからここで祈るのだと、

何故石だけかと言うと、宗旨が違うから、と。

上に乗せるものは、皆に持ってきてもらう、のだそう。

狭い土地の、狭いところで、まぁ、忙しいことだと。

 

ちょっと上がって。

石が積んでありまして。

何でもここは城跡なのです、と。

多々名城と言うそうで。

いつ頃の?と聞くと、

アジの時代、だと。

第一首里王朝の前だね、と。

随分古い話です。

 

一応、見晴らしの良いところに出まして。

アレが久高島、アレがなにの浜、とか、ガイドが説明をしておりますが、

とんと頭に入ってきません。

何故なら私はこの時点でかなり疲れております。

さ、言い訳を。

 

軍手嵌めて、岩が多い道なき道を、ヨジヨジ登っていくわけです、

そうなると、3点確保と言うのが大事になります。

つまり、両手両足、3つは確実に体重を支え、残りの1つで、

進むべきところを探す、と。

大体でやると怪我する場合もありますから、ここは慎重に。

 

で、慎重にやっていると、結構ガイドが進むのが速くて。

あまつさえ、ゆっくりよー、とか言います。

別に急いでいるわけでもないし、もっと具体的なことを言えと、

イライラして。

そうするとまた、ガイド2号が口笛なんか吹き出して…

指笛だったら殴打していたと思いますが、口笛でね。

ガリガリと、心理的に、体力的に削られます。

 

また、靴底が私のはペラペラでして。ゴムではありますが。

それでまた、変に尖ったところがゴロゴロしているので、

そちらにもまた気を使ったりして。ええ。

 

一旦、マングローブの奥で、独り休憩して、落ち着きましたけれども。

 

ガマを降りていくと、日本軍の水槽があるよ、と。

さらに降りると、メットがガンガン天井を叩きます。

 

ちょっと、空の見えるところに出ると、

ここからグラマンを見ていたのですね、とか。

これが爆弾の破片、とか。

 

この山一体が、旧軍の塹壕になっていたと、そう言うことでした。

いや、イーストウッドの硫黄島からの手紙の世界が100倍マシに思えるほど、

狭くて暑くて。

 

実際問題、ここから何が出来るのだろうと。

ちょっと撃って、居場所がバレたら、爆撃と榴弾と火炎放射でしょう。

そして、ガイドが言っていたのが、

死んでも、地面を掘れないから、岩だから、その辺の深くなっているところへ、と。

私も何度か、遺骨を探しに来ましたけど、とか。

 

そうですね。

沖縄各地から集められて、ここで戦って、死んでいった人が沢山居たと。

そんな場所でありました、と。

色んなところから、祈り手もくるでしょう、それは。

 

最終的には、命綱も使わず。

ツアーは終了、2時間ぐらい、でしたか。

 

そう。

バスで来たので、バスで帰って。

シャワーを浴びて、ちょっと寝て。

夜は、安里駅近くの焼鳥屋へ…

 

私はもう散々焼き鳥食べたんですけどもね。

二万八千石と言う屋号でしたが、、、琉球藩がそうだったのかしら。

二種の卵の黄身でいただくつくねとか、楽しんで。

 

栄町市場でハシゴして。

お姉さんは強いお酒を呑んで、ヨイヨイでしたけれども。

そう、ビールから始めて焼酎行ってハイボールとか、

誰がこんな飲み方を推奨し始めたのでしょう。

 

栄町というのは、ひめゆりの学校があったり、

花街になったり、色々な歴史があると、聞きました。

 

そんなこんなで。

お姉さんの高いびきを聞きながら、この日は終わりました。