再び。
双岳台から西へ。
山中のワインディングロードを越えると、後はひたすら真っ直ぐな道、と言う北海道を走り。
一旦、道の駅摩周、で一服。
建屋の脇で、発電機がゴウゴウ唸っております。
自動販売機は1機だけ、使用可能の紙が貼っており。
トイレに入ると、係員のおじさんらしい人が、
「何時電気は戻るんだべ」とか、言っていました。
確認せずにお小水をしてしまいました、失礼して。
北見の方のナンバーの自衛隊の方も、休憩していたり。
ここからどこへ行くぞかし。
また、キャンピングカーや、軽の上にテントを張った車等、
この界隈に泊まっていたものか、情報交換等、していたよう。
夫人による情報収集、ここで食べられるのは、エゾシカバーガーぐらい、であると。
まぁ、それはそれで乙っぽいけど、まだ昼前だし。
北へ。
パイロット国道と言う道。何がパイロットなのかは未だに。
途中「営業中」「カニバーガー」の幟を見て。
「カニは普通に食べるにしくはないよ」と、
強弁させていただきました。
着きました。
屈斜路コタンアイヌ民族資料館
http://www.town.teshikaga.hokkaido.jp/03kyouiku/30syougai/25shisetsu/2009-0317-2216-102.html
イオマンテの熊を入れておく檻。
その他、コタンの祭壇(ヌササン)等も。
建築史学者の痩せた男が言うには、高名ではないにしろ、釧路市出身の建築家が設計したと言う資料館で。
※訂正します。
当資料館を設計した建築家、毛綱毅曠(
著名な賞を数多く受賞している、建築界では高名な存在です。
旧名をモン太と言い、Wikiには「その建築の多くは、実用性に欠けると評されている」と書かれています。
ドーム建築の内郭の周囲を、コンクリの外郭が幾重にも囲んでいると言う、、、幾重では無いな、十重二十重でも無い、2枚ぐらい。
重厚な建築で。
ああ、当然休業中でした。
入り口前の、トーテムポール的な柱の並びの、最前の一本に、紙が。
ところで、ヒッチコックと言うスミソニアンの学芸員が明治中期にアイヌコタンに取材した資料には、
トーテム的な柱は、描かれていないのですがね、
彼が見逃したのでしょうかね、まぁ、良いんですが。
一行は周囲をぐるりと周り、ガラス戸を通して、アイヌのエカシが
ヒグマとマキリ一本で戦っていると言う像を見たり。
ま、アシリパさんに言わせると、そんな長さでヒグマの心臓には届かないし、そもそも脂肪と筋肉で刃が止まる、と怒られそうな像でしたが。
閑話休題。
コタンの湯、と言う、露天風呂も見にいきました。
屈斜路湖の中に湧いていて、小屋掛け一つで脱いで入る、所。
残念にも、と言うか、最初から入る気も無かったですが、
こちらも休業で。
何のことはない、地中から温泉あげていた、と言うことでポンプが動かない、と言うことのようでした。
幻滅するほど、ロマンを感じても居なかったので、それはそれで。
一帯をぐるりと更に廻って、飲食店とか、探してみて。
一軒程、発電機で営業しているような感じのところがあるぐらい。
アイヌ詞曲舞踏団、の看板があり、大人「詞曲と言うんだね」と。
続きまして、和琴半島へ。
こちらにも、天然露天風呂があるようで。
屈斜路湖南岸、ドアノブのように突き出した半島。
陸側の、付け根のところに駐車場があるものの、まだ先にも行けるようで、
ずんずんと。
とは言え、和琴半島自体は山で出来ているので、南岸の辺までですけど。
と、 湖岸で遊んでいる子供を発見。(親あり)
湖岸と言う言葉も些か広うござんすが、湖水の中ね。網など持って。
ありゃあ、定めし温かいもんなんだろうと、近づいていくと、
先行していた夫人が、悲鳴アゲアゲ戻ってくる。
曰く、男性のおヌードを頂戴してしまったと。
なんだか、異様なペイントと装飾を施した軽自動車が停まっていたので、嫌な予感がしたのですが。
温泉。
名前がついているのか存じませんが、こちらも小屋掛け一つの。
湖水からは切り離されていて、岩で囲いがしてあります。
外国人のお姉さんが、水着で入っていましたが、
その傍らに、タオル一枚でチラチラ見え隠れしているオジサンが。
あぐらかいて、頭なんかを剃っていて。
まぁ、体毛が落ちるのはしょうがないにせよ、
頭当たるのは、どうなの?と。
そんなことを思いながら。
「入る?」
「入らない」
と。
まぁ、お湯はしっかり温かくて。
むしろ熱いな、と痩せた男。
帰りしなに、湖水の方にも、手を入れて。
いや、これが全然ヌルくない。しっかり冷たい。
えー?あの子は何だったの?
妖精?