中川尋史二等空佐(47歳、階級は当時)・門屋義廣三等空佐(48歳、同)のお名前をご存知でしょうか?
1999年11月22日に偶然見た墜落事故の英雄の
お名前を翌日の新聞で知りました。
お二方は米国空軍のtop pilotや米海軍のtop gunをもはるかに凌ぐ飛行教導群pilotです。
ご冥福をお祈りし多くの人命を救った彼等の行動に敬意を表します
世界最高の練度と整備稼働率を誇る自衛隊にも敬意を表します。
今回ご紹介するのは、Hoshiyanさんがブログで1999年に起きた入間基地所属の自衛隊機墜落事故の真実を書いた『日本人にどうしても知って欲しい「13秒」』です。
1999年11月22日午後、航空自衛隊入間基地所属のT‐33型Aジェット練習機が埼玉県狭山市の入間基地北東約2キロの河川敷に墜落した。
パイロット2名は殉職した。
その際に東京電力の高圧送電線を切断し、東京・埼玉の約80万世帯で停電する事故が起きた。
翌日、新聞各紙は大々的に報道して「自衛隊機、また事故」「東京・埼玉で一斉停電」「税金の無駄使い」
そして、T-33型Aジェット練習機と伝えられたため「パイロットが未熟だったために事故は起こった」と自衛隊は散々に叩かれた。
当時の瓦力防衛庁長官が謝罪する事態にまで発展した。
↑(日本の左翼思想の大手マスコミにはこの無責任なpenと言葉の暴力を謝罪して欲しいです。 VIPER加筆)
そんな無責任な批判を覆すことになったのは1年後の航空事故調査委員会の報告書だった。
事故は漏れた燃料に電気系統からの火花によって着火し、火災が発生したと断定し、パイロットおよび整備員に過失はなかった」と発表した。
事故発生時、機長は管制に「ベイル・アウト(緊急脱出)」と告げていた。
ところが、2名のパイロットは緊急脱出せず機内に留まり、狭山市街地への墜落を回避するための必死の操縦が行われていたとみられる。
「ベイル・アウト(緊急脱出)」告げた時の高度は高度360mで、ぎりぎりパラシュートが開く高さだった。
実は、2名のパイロットはベテランで、そんなことは十分承知していた。
機体が河川敷に向かったことを確認したのは「ベイル・アウト(緊急脱出)」宣言の13秒後であった。
この時、地上との距離は70m、機長は再び「ベイル・アウト」を宣言して2名のパイロットは脱出するが、当然にパラシュートは十分に開かず2名とも地面に叩きつけられ死亡した。
彼らは覚悟の死であった。
2名のパイロットは助からないのに、なぜわざわざ脱出装置を作動させたのか。
その答えをあるマスコミのインタビューに自衛官が答えている。
彼は「駄目だと分かっていても、最後の瞬間にわずかでも時間があれば、脱出装置は作動させます。そうしないと、脱出装置を整備した整備員に、要らぬ心配をかけますから」と述べている。
その刹那に2名のパイロットは何を思ったのだろう。
家族や友人のことだろうか。
いや、脱出装置を整備してくれた仲間の仕事に間違いがなかったことを伝えたかったに違いない。
それが助かることは無理だと覚悟しながらの脱出装置を作動させる行為につながったのだろう。
彼らの行動は人間の尊厳に満ちたものであった。