おはようございます。


以下の動画を見ました。
PIVOTに落合陽一氏が出てAIについて語っているものです。


僕もAIはちょくちょく使っているので(落合陽一の1億分の1くらいでしょうが)、AIの便利さは少しわかるつもりです。
だから、自動化できるところは自動化する手助けとして非常に有用であることは実感しています。例えば、僕はプログラミングは全くできませんが、Notion用のコードを書いてもらいました。

だけど、この動画を見て僕はモヤモヤした。
以下、思いついた理由を書いてみます。


1、AIには意見がない
僕が未だにAIに乗り切れてないのって、結局のところ数学的な回答以外は聞いても意味がないんです。
なぜならAIは主義主張を持たないから。色んな可能性を考慮した長ったらしい答えが出てきて、結局自分で考えてねと言うだけ。じゃあ、普通にネットで調べるのと何が違うのよと。
そんなことであれば、Wikipediaの方がハイパーリンク化されているだけよっぽど使い勝手がいい。ソースとしての信頼度もさほど変わりがない。

ただ1つAIの利点として挙げられるのは、上手い検索ワードが思いつかないとき、ぼんやりした文章を打ち込んでもそれなりに答えてくれるところ。これは明確に助かるところではあります。
だけど、未だに検索エンジンの方がトータルとしては情報の深さも広さも圧倒的に調べ物には向いているという印象です。

2、文章を書くということについて
これは個人の好みの問題かと思いますが、「創作」という事に関する考えの違いですね。動画の中で落合氏は「文章なんてAIに書いてもらえばいい」というようなことを話していますけれど、ちょっと受け入れがたい。
AIの出力というのは成果ではなく、消費される対象でしかないんじゃないでしょうか。だって、作成した本人が内容について語れないわけじゃないですか。それは、「血が通っていない」ということでしょう。
上に挙げたプログラミングのコードは動作の部品でしかないから、それ自体に価値を見出す必要はないわけです。
でも、創作はそうではないんじゃないか。

落合氏が言う「他人のやってない分野でオタク化しろ」は正しいと思いますよ。「個人はマスに乗った瞬間にコモディティになる」とはまさにその通り。
但し、オタク化するには成果に「血が通っている」必要があるんじゃないでしょうか。

現状、僕はAIというのはマスの権化としてしか捉えられていません。「平均化された知識」以上のものではないんじゃないかと思っているのですが、どうなんでしょうか。僕のAIに関する知識が間違っているのか。

AIのすごいところって、スキルのない人間がスキルを学ばずとも70点のものを作れるようしてくれるところだと思います。では残りの30点をどうするか。
数撃ちゃ当たる戦法で100点が出るまでガチャを引き続けるのも一つだと思います。あるいは30点分は人間が手直しするか。
もしかすると、AIが作り出さなかった30点分というのは個人の主観の幅のことなのかもしれませんね。70点はみんなの共通認識の部分で、残りは個人の感覚のブレみたいなことなのかもしれない。

そういう意味で言うならば、オタク化するにはAIから離れる必要があるんじゃないかなあ。基礎的なところをAIで手っ取り早く学んだら、その先はマスから離れて1次ソースを貪っていく。

ある程度きれいに揃えることはAIがやってくれるわけです。そこからはみ出した、人間のままならないところや足掻いている姿に「生」があるんじゃないでしょうか。そういう意味で、創作は人間の最後の砦として置いておかなきゃいけないと思うんです。