震災ボランティアブログ4月8日の出来事です
この日は、明らかにボランティアの域を超えた支援をしている方に会いました。
今回は、東北5日目の出来事です。
この日は、前日夜に最大震度6強の地震が起こった翌日でした。
地震が起きたとき、自分達は道の駅『みなみかた』というところにいたので津波の心配はなかったが、南方町内では火災のアナウンスが流れていました。
起きてから、行けるところまで行ってみようと南三陸町のベイサイドアリーナに向かいました。
ベイサイドアリーナは災害対策本部やボランティアセンター、物資の集積場になっていてここから南三陸町各避難所に物資を配分しています。
以外に行けるもので、至る所に前日なかった地割れ、陥没はあったものの片側通行などですんなりたどり着きました。
ボランティアセンターから『公民館のお風呂掃除に行ってくれ』と言われ、
ベイサイドアリーナから約8kmの入谷公民館に着いて見たのは……
公民館の敷地内の少し離れたところにあった
『ゆ』と書いてある大型トラック
「ん……!?」
自分の感覚では公民館に常設してあるお風呂を掃除して帰ってくる感覚だったので面食らったというか、
「本当にあそこ…?」っていうのが本音でした。
一応公民館の担当者に聞いてみたところ、やはり『ゆ』トラックがお風呂とのこと。
近づいてみると、ちょっとこわ面だけど素敵な雰囲気の社長さんが対応してくれました。
ここのお風呂はユニットバスが5つ、
沢の川水をろ過して給湯器であたため湯船の他、シャワーも使える個室タイプでした。
何度も言うようですが トラックとは思えない空間がそこにはありました。
実際、被災された方も入ってくるときはこわばった表情でお風呂に入ってきますが、お風呂上りはみんな笑顔でした。
自衛隊のお風呂に関しては団体入浴で場所も時間も限られている、 個室でおまけに温かいシャワーも使えるこのお風呂はみなさんにとって安らげる場所になっていました。
ここのお風呂を提供したのは新潟の土建会社の社長さんで、
震災の翌日にはまだ海水の引ききらない場所をかき分け、自衛隊よりも早く豚汁とおしるこの炊き出しをしたそうです。
そのときに、何とかして「みんなをお風呂に入れてやりたい」と思い、私財を投じ3日かけて『ゆ』トラックを完成させたとのことです。
社長さんたちは一週間この場所で入浴サービスしていて、朝は5時くらいから、夜は12時くらいまでひっきりなしに活動 睡眠時間は2~3時間くらいという話でした。
この地区は、通常は500人くらいの集落ですが、震災後は近隣で被害の大きかった志津川地区などから避難してきた人たちや、親戚をたよってこの地に避難してきた自宅避難の人たちで2000人を越えていました。
私達が手伝いにいったのはその最終日、
ボランティアセンターを通じるとだいたいの市町村で朝8~9時から、お昼休憩をとって、終わりは遅くても3~4時で活動場所からセンターに戻らなければならない決まりがあります。(危険回避の観点から考えるとしょうがない点もあるのかもしれないけど…)
現場に直で滞在してボランティアしている人たちにとってはそんな時間で活動をしていたら間に合わないのが本音です。
自分達も、とりあえずアリーナの仮設トイレの掃除など頼まれていたので、
一旦センターに戻りバッジを置いてまた『ゆ』トラックにかえりました。
ちなみに、何日もお風呂に入っていない方がたくさんいて湯船が汚れるので、お風呂の掃除は毎回利用者がでたら行い、きれいな状態で提供していました。
また、お風呂待ちの人やあるいはお風呂から出た人に炊き出しもしていて、
自分が手伝った時は、ホワイトシチューを出しました。さすがにあんな量のシチューを作ったのは初めて、
ちなみに、宮城では(あるいは南三陸では)シチューに白菜を入れるのが普通だそうです。←美味しかったのでみなさん試してみては♪
このお風呂を利用していたみなさんは、明るかったです。
社長達ともわきあいあいとしていて、子ども達もとっても仲良くなっていました。
この日が最終日ということもあり、お礼をしていく人たちがたくさんいました。
夜、ろうそくの明かりで社長さんのためにミサンガを編んできた女の子もいました。
また、社長さんがもらったという子どもからの手紙には
『しゃちょうさんにたくさんたすけてもらったから、おおきくなったらじぶんもひとのやくにたつしごとがしたいです』
と書いてありました。
次の日、片付けも終わりトラックが動き出すと小雨の降る中、避難所から子ども達が飛び出してきて大声で
「ありがとうございましたーーー!!!」
と何度も何度も叫んでいました。
本当にみんなが感謝してるのが伝わってきました。
この南三陸町入谷地区は早いところで20日くらいをめどに電気が復旧予定、水道に関しては3~6ヶ月は最低かかるという町内放送を聞きました(そう聞こえただけで、実際は違うかもしれないけど)。
復旧にまだまだ時間がかかるのは必至だけど、
この動くお風呂は間違いなく入った人たちに勇気とやすらぎ、そして笑顔を送ったと思います。
子ども達の感謝に輝いた目、今でも思い出します