先週栃木県からきたご家族のテニアン泊まりをお世話させていただきました。
今年亡くなられたお父様の遺言でご家族でテニアンへ墓参することが目的のご旅行でした。亡くなったお父様は戦争時テニアンで生き残った数少ないお1人で戦後慰霊団をくみ何度となくテニアンへいかれたとのこと。
大東亜戦争でサイパンが陥落してから67年の歳月が流れてますが、ご家族に接しお話をする中であらためて人の想い、生きざまを考えさせられました。
サイパンではバンザイクリフ、最後の司令部跡、中部太平洋戦没者の碑、日本海軍の酸素製造所跡、発電所跡、弾薬庫跡などをご案内し、テニアンでは戦跡、慰霊碑などたくさん墓参されました。
お父様が書いた本をいただき、読むにつれ当時亡くなった英霊に対する生き残った苦しみを戦後ずっと持ち続け、テニアン慰霊をつづけられたと思います。
また生き残り内地へ戻り、お父様の思いをご子息が守りそれを子供に伝えと累々と家族の中で生きていることに頭が下がる思いです。
サイパン、テニアンは日本軍が玉砕した島で民間の人もたくさん亡くなられた島であることをもう一度よく考えてみる機会にもなりました。
当地で戦争中亡くなった方々の最期を知るにつれて自分のここでの
生活ぶりの甘さにあらためて悔い改める機会になりました。
なぜかふと私の死んだ父親のことを思い出しました。
私の父は戦争当時、日本郵船の船員で大阪大空襲にあい怪我をして実家に帰る途中、汽車の中で握り飯、銀シャリを食べていたときその様子をじっと見ていた真向かいに座っていた子供に握り飯をあげ、脇にいたお母さんが何度も頭をさげ礼をいたと言う話を思い出しました。
当時白米のおにぎりを食べることは出来ない時代でした。
伯父1人は支那戦線へ、1人はフィリピン戦線へ、1人は艦砲射撃で工場で死に、母親の実家では大きな松の木を切り防空壕を作り町内の人たちと立てこもったという亡き両親の戦争当時の話を思い出しました。
先人の御霊を思い出し今日、今を元気よく生きていこうと思いました。
日本軍戦車 日本海軍50KW2個の発電所跡







