一昨日面白友人Oさんと、燭火礼拝と、今月2度目の
忘年会で良いお年を~!と挨拶を交わしたんだけども
先日手風琴の妖精さんからLIVE
のお誘いが・・・
・・・で
Oさんと3度目の忘年会になっちゃった・・・
Oさんは娘さんが2歳にもならない時から
女手ひとつで育て上げて、独立させて数年・・・
来年早々娘さんは、遠い関東へお嫁に行く。
Oさんの携帯電話の待ちうけ画面は、超べっぴんのお嬢さん。
1日3回メールするけど、2日に1回しか返事がないとか。
Sさんの逞しさを知るほどに、母親の愛の強さを感じる。
私と母とは昔から、親子が逆転しているようで辛かったけれど
いきさつや流れでそうなってしまっただけで
母者はやはり私を愛してくれていたんだよね。
Oさんと会うたびに、そう信じたくなる私の深層心理は
マザコンなのかもしれないわ。
愛されない悲しみ憎しみも、愛があるから。
私が長い年月の間に自分に塗りたくった、悲しみで
濁った幻想や痛みが
どうかすっかり消えて無くなりますように・・・
ライブは西陣の路上演奏をしていた手風琴の妖精さんが
お友達になったばかりの、沖縄タコスのお店で開演。
投げ銭ライブって、おひねりが飛ぶのかと思ったら
カゴの中に心付けするんでした。
持参の綺麗な色紙に包んで入れました。何か新鮮。
手風琴の妖精さんは、私の憧れの人ミドリさんに
似ている。
500年前に会っても、500年あとに会っても、
きっと全く変わらない魂のありのままで生きているような。
奄美大島を手風琴を奏で唄い放浪していた時に
絵を描きに島へ来ていた男性と出会って
今は二人で幸せに暮らされているの・・・
きれいな映画の物語みたいね。
そういうときが、誰にでもきっとあると思うのは
私の過去にもそういうときがあったのだと思う・・・
私にとっては夫との出会いから、心がひとつに添って
生まれて初めて安らぐような、そういう至福の時が。
だからきっと、誰でも、きれいな物語のようなときが
きれいな、映画のような時が、あるんだって思う。
そういう時というのではなくて、もしかすると
喜び輝けるときだけじゃなくて、辛いときも、
もしかすると、絶望に打ちひしがれているときさえも
きれいな物語のようではないのかな。
濁り汚いんじゃなくて。
生きる全て美しいんじゃないかな。
愛があるからこそ辛いときも、悲しみも絶望もあるのなら。
ああ、なんだか、もういいや。って思う・・・
とっても楽になっちゃった・・・
若い時に、自殺未遂を2度したのよ。
でも今、中年の私は人生が好きだよー。
昔は自分が幸せいっぱいになれるなんて、
想像ができなかったけれども
今はありのままの自分がとても好きで、しあわせ。
本当に、思ってもみなかった。
想像もできなかった。
ただ生きていることが幸せと思う日がくるなんて。
今更に生まれたことに感謝できてるよー。
お母さんも、お父さんもありがとう。
私が自分のしあわせを知ることのテーマに
長きに渡って導いてくれてありがとう。
生まれる前からの約束だったんだね。
私が自分に気づくまで、反面教師をやってって
そういう風にしてと私がお願いしたのね。
たいへんなお役をありがとうございます。
自分で選んで決めて生まれてきたということは
ありがとうおじさんから教えていただいたけれども
私はそれを、「そう定義づけをしたら気持ちが楽にはなる」
としか、始めはそこまでしか受けとれなかった。
でも、そう考えたら、全部愛につながることが容易い。
輪廻転生の中で、全ての経験にトライして
一期の夢を味わう為のゲームだったら。
すべての人が、過去生や来生の私かもしれない。
ハンデを選んで生まれた人は、ハンデと寄り添いながら
至福を創造するテーマを持っている果敢な魂だったり
周りの人に愛を行わせてくれる役目だったり・・・
自分で生まれ育つ環境やなどの宿命を選んできて
何を求めるのかを捜して・・・
生きていく学びは、ありのままに至福を感じてはじめて
沁みこんでゆくのかもしれない。
いろんな疑問符が一時に繋がって、
喜びも苦しみも、同じ一枚の輝く地図のように・・・









winter rose

















