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野田新首相誕生

調査が先

格差は言われるほどには存在しない

瀬島龍三氏のこと

先日亡くなった瀬島龍三氏のことを書く。直接話をしたことがあるわけではないが記憶に残る言葉がいくつかある。
講演を聞いたことがあるが絶対に分かりにくい言葉を使わない人だった。しかし聴衆はその話の奥深さに感銘した。
常に日本を意識して生きていた人だと思う。戦後は日本人である前に地球人たれという趣旨の教育がまかり通った。
そのため我々は北朝鮮に拉致された人々の不存在に長い間無関心であったし、日本固有の北方領土が戻らないことや韓国や中国に離島が脅かされていることにも無関心である。9.11テロで亡くなった日本人が24人いることもわが事でなく、洋上給油活動さえアメリカのためにやっていることと矮小化して考えるようになった。
アメリカが好きか嫌いかということとわが国の国益は別のことである。しかしもう日本人には「国益」という言葉自体価値を覚えないようだ。安倍総理が戦争で死んだ人たちへの尊崇の念をもって靖国神社を参拝すると言っていたのに
尊崇の念に対する評価を得られないため参拝すら出来なくなってしまった。いやこれは今後のわが国の歴史のために身を賭して参拝をしてもらいたいと切望する。
家庭を意識しないで会社を意識しないで仕事をする者とそうでない者どちらが評価されるだろうか。国家を意識しないでビジネスをしてもその価値は低いと言わざるをえない。
瀬島さんは今の子供に大切なのは道徳と地理と歴史の教育だと言われたそうである。瀬島さんは多くを語られなかった、北陸人らしく語ることと沈黙のけじめを自らに厳しく課し、おもねらず派手さを好まない人であった。

平成19年の年頭に当たり

あけましておめでとうございます。私の家族、そして
もしかしたら本文を読んでいただいた方に今年も
よろしくお願いします。

年々正月の伝統行事が減っていくのは大変残念だ。
神様を迎えるのに相応しいしきたりは守りたいと思っている。
誰も見ていなくても自分の言動は誰か(神仏)に見られているものだ
という現世を超越したなにものかに畏怖する心を日本人の多くが
失って来ているように思う。
金銭ばかりを拝んで、命を軽んずる風潮が強まっているし、
ネットの匿名掲示板は根拠有る無しに関わらず誹謗中傷があふれている。
非道を許さぬ凛とした美しい日本人がかつてはあったと思いたい。

拉致家族のことを思うと同じ日本人として大きなことは言えない。
かつて皇后陛下がご自身の誕生日に文書で回答されたお言葉に
こういうことを言われている。
「なぜ私たち皆が、自分たち共同社会の出来事として、この人々の
不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったのかとの思いを
消すことが出来ません。」
拉致家族の人たちは艱難辛苦を飲み込んで、私たちに究極の頼りとすべき
ものは家族であり国家であることを身を呈して教えている。

日本国民であることより「地球市民」でありたいと言う人がいるが
憲法や教育基本法が人類の普遍的な価値とその尊重をを強調する余り、
結果としてこのような無国籍化を招いたと思う。
ひいては個の肥大や暴走を招いて今がきてしまったといわざるを得ない。

自分はどうだったか、さして自信は無いが、それなりに子供らしく
大きな子小さな子の間でその場その場の遊びのルールを作って
いたことは間違いないし、大人たちは子供が何をしているかいつも
さりげなく見ていたと思う。
問題は子供ではない親、大人たちである。子は親の鏡なのだ。

子供たちの笑い声がはじけるような日本にしたい。

今年の出来事

今年いくつかやっぱりそうだったかと思うことがいくつかあった。
「金儲けは悪いことですか」と、世間に反問した村上世彰。
「人の心は金で買える」と豪語した堀江貴史。
常識を破らなければ前途を切り開くことは出来ない。
しかし堀江が法廷でかつての部下に罪をなすりつけようと
しているのを見ると情けない。
また自由経済ではあるが市場にはルールがある、というのは正しいが
本質的には見た瞬間虫唾が走る人種だこいつらは信用できない、と喝破
できる直感力の重要性を感じたし、幸い私にはこいつらはダメだと
感じる力があったと自分自身に安堵している。

もう一つ日本人は軍事の重要性を理解し始めた年だったと思う。
ただこの点はまだまだ道は険しい。
北朝鮮の核実験を受けて、中川政調会長や麻生外務大臣が
日本の核論議の必要性を指摘したのに、かなり多くの
政治家、学者、マスコミが議論すべきでないと条件反射的な
反応をした。かれらはおそらく普段こうした事態に向かって何も準備
していなかったのだろう。彼らが目を覚ますことを願う。
しかし自己保身としか言いようの無い人種がまだ政治的に力を持っている
現実がまだある、議論さえ封じるというこの国には情けない部分が
あると痛感させられた。

一族の中心とは

私は自分が一族の中心になろうと思ったことは無い。しかし中小企業の経営者であることは
ほとんどがその会社は同族経営であろうし、であればたとえその会社の経営に直接関わっていない
親戚でもいわゆる「本家」の動きには関心を持つし、世間の本家の評判は気になるところだろう。

結果として昔で言う「本家の家督」を継いだ以上その相続人としての責任はなんだろうと考えていたところ
面白いものが見つかったので一部書き記してみる。
①責任感が一族の中で最も強く、時に自己犠牲をいとわないこと。
②質素倹約を旨として、兄弟、一族より贅沢をしていないこと。
③自分のことより家族・一族の幸福や名誉を優先する考えであること。
④一族の始末・責任を自分のものとして腹を切る覚悟があること。
⑤一族にとって重要な決定に際しては親族会議を開き、自分ひとりで全てを決めないこと。
⑥日々先祖を敬い、一族をまとめて法事を営むこと。
⑦家族、従業員、地域の方たちと共通のお祭事に積極的に参加していること。
⑧後継者への教育をきちんとしていること。
⑨他に相応しい者が登場してきたら家督を潔く譲る気持ちを持っていること。
⑩個人の取得財産と先祖伝来の財産を明確に区別していること。

私たちはもう一度「家族」「家庭」を考え直す時に来ているのではないだろうか。

今日の新聞記事から

都会人の特徴として
対人態度の寛容さ、パーソナリティーをさらけ出さない行動様式があげられるらしい。
地方にあっては逆の行動を平気でやる人が多いということか。言い換えれば洗練度を
計るのにはいい物差しかもしれない。


人生に最初から意味があるわけではない。意味は自分で作るものだ。
オーストリアの精神科医 フランクル
(ナチス強制収容所を経験)

平成18年の年頭に当たり

正月はいいものだ、初詣に行ってきた。すがすがしい若々しい力を得たような気分だ。


2005年こそ本当の意味において21世紀の幕開けになる大変革の年になると

予想して公言してきたが、小泉政権の衆議院選挙の圧勝はその目指す改革を国民が

支持したことになり、経済面も長い低迷から脱した。まさにはからずも日本の分水嶺の

年であった。


企業経営においてこれからはますます「変えていくべきもの」と「変えるべきでないもの」の

識別が重要となろう。

前途の厳しさは格別だ、しかし明るい兆しをわが力として立ち向かっていくべきだと考える。

私がこの3年積み上げてきた会社におけるさまざまな刷新・働きかけが「疾風・勁草」の

強い体質に変わっているだろうか、問題は山積しているが社員を信じて旗を振り続けていく。


これまで声高に号令してきたが、今年はしっかりした実績を上げ、妥当なことを述べ続けることで

少しニュアンスをかえた行動をしていくつもりだ。驕らず高ぶらずしかし勇気を持って実行

していくことの重要性を社員に訴えることにしようと思う。

日本人のDNA

今年は機会があって、6月に靖国神社、10月に沖縄の平和祈念館に行って来た。


いろんなマスコミ報道をみるにつけ、物事を単純化しすぎてはいけないことを承知で

このように感じている。

靖国は積極的な意思のあるなしの差はあるにしても、戦争をした側の慰霊、鎮魂の

象徴であり、一方平和祈念館はなすすべなく撃たれ、焼かれた人たちの慰霊であります。

どちらも我々のやったこと、やられたことの事実なのでありますが、どちらかに

一方的なシンパシーを感じる人たちが政治的に動き、それに中華人民共和国や

韓国・朝鮮が乗って外交的に利用されているということが問題だと思う。


日本人は元来自然の恵みに感謝して自然と共生する人たちであります。

弥生以降大陸・朝鮮から渡来人が来て仏教も伝わった。

しかし身の回りのあらゆるものに神を感じる日本人のDNAは、神仏混交の形で

生き続けてきた。

明治の廃仏毀釈で大きな打撃を受けたが、身の回りのものに神を感じるDNAは

今に至るまで連綿と引き継がれているのであります。


わずかな例外をあげつらわれて、卑屈になってはいけない、政治的に利用したり

お追従をするのは言語道断である。

自分自身を思い起こしてほしい、日本人は間違いなく争いを好まず、多くの事例が

示すように死んだら敵も手厚く葬る民族なのです。ましてや死んだ同胞が仮に

戦勝国の裁判で絞首刑になった人でも平等に祀るのは少なくとも外国から

非難されることではない。


無法に何百万人のユダヤ人を虐殺した行為と、戦争状態の中で発生した民間人の

殺害は同列に扱うべきでないし、その規模も比較にならない小さなものである。

中華人民共和国、韓国・朝鮮およびその同調者の政治宣伝にだまされてはならない。