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制作年:2016.12
作品サイズ:148×105mm
使用画材:パイロットジュース(パステルイエロー)
もうすぐです。
5月27日(土)、28日(日)デザフェス45出展いたします。
ブースB-750です。
ブース内で作品の実演をしている予定です。
今回は西ホール全館じゃなくて東ホールだそうなのですが
どうも入り口から近そうです。
ご来場の際はぜひお立ち寄りください。
もう1点、書かなければならないことがあります。一つ前の記事の方からの宿題です。テーマは"世界でたくさん&長く愛されているアーティストについての考察"。こういうのを考えるのはあまり好きではないし得意でもないので憂鬱です。
このキーワードで私が気になるのは"愛されている作品"じゃなく"愛されているアーティスト"というところです。愛されている作品を作った人という意味ではなく、アーティストそのものが愛されているという意味だと解釈しました。例えば"スピルバーグ最新作"という、ただそれだけの情報を得て(詳細は何も明かされていない状態で)、わくわくする人がたくさんいるというような状況が、アーティストが愛されているという事なのではないかと思う訳です。そこでぱっと思いついたアーティストはウォルトディズニーです。私がディズニーランドがある街で働いてるというのもありますが、彼の世界観が世界中の老若男女に愛されているという実感は遠方(国内外)からはるばるこの街に遊びにやってくる観光客の多さから強く得られます。本人の活動期間は1922-1966年との事で、100年近く前に活動していたアーティストで、尚且つ現在も彼の意志を受け継ぐ者たちによって新しい作品が制作、発表され、多くの人が新作を心待ちにしていることを考えると、たくさん&長く愛されていると言えるのではないかと思います。
なぜ"世界でたくさん&長く愛されている"のかについて考察します。
まず"世界でたくさん"愛されるという点については、あらかじめ世界に発信することを想定して制作されているからというのが大きいと思います。例えば、アメリカでの展開を想定して英語で制作された映画に後から各国で翻訳をつけるのと、多くの異なる言語(文化圏)で公開される想定をもって、全編英語で制作される作品とでは、オリジナルから世界向け展開された時の世界への浸透に差が出ると思うのです。必ずしもそういう制作スタイルが優れているとは思いませんが、制作者側があらかじめ世界を視野に入れて制作することは、異なる言語や文化をもつ鑑賞者が、自ら作品に歩みよるという負担を軽減する事にはなるので"世界でたくさん"受け入れられる要因のひとつにはなると思います。
続いて"長く"愛されるという点について。これは1人の人に長く愛されるという意味ではなく、世の中に長く愛されるという意味で解釈しました。様々な要因があると考えられますが、"長く活動している"というのもそのひとつだと思うので、それについてだけ言及します。長く活動するということは、それだけその作家と世の中が接する機会を増やす事だと思います。作者もファンも時とともに老いていき、100年もすればだいたい死にますが、作品は性質によっては人間より長持ちするものも多く、そうでないものも、記録や保存によって半永久に残り得ます。そういった状況がある中で、彼のように、本人の死後も後継者によって安定した品質の作品を発表し続けるというスタイルは、アーティストとして過去形の存在になることなく、歴史上の人物でありながら新しい世代へとファンの裾野を広げ、長く愛される事に繋がると私は思います。
"世界でたくさん&長く愛される"というのが、いまいちよくわからないので、考察もこれくらいが限界です。あまり考えたくないことを考えたので疲れました。
以上です。
1月の末に、作品や制作に関して人と話す機会がありました。自分自身のの真理というか、どんな制作をしたいのか、どんな制作者でありたいのかというような事について、文章で書きます(課題です)。
私は現状、日常的に絵を描いて、それをときどき人前に公開(発表)するということを趣味にしているけれど、なぜそんな事をするのかと問われたらどう説明するかというところです。
まず、なぜ私がこのような絵(というか模様)を描いてしまうのかというと、"お金をあまりかけないで何か作業をし続けたいから"というのが端的な答えになります。何かつくりたい欲求はあるけれど、強く訴えたいことも特にない。けど描きたくはなる。やめれるものならやめたいし、もっと違う時間の使い方(資格の勉強とか筋トレなど)をしたいと度々思うのですが、結局また描いてしまう。そんな状態が5年くらい続いています。よくわからないけど描きたくなるので描いています。仕上がる作品は"ああこれはいいな"とか"これはあんまり好きじゃない感じ"とか、実にふわっとした感じでやってるので、"作家"というくくりになってしまったり、わかりやすいからそう自称したりする事もあるけど、そんなんじゃないなあと、本当は感じています。とはいえ自分をより満足させられるものが描きたいなあとは思います。より精度をあげて自分自身に響くものを。大多数の人が見向きもしないけど自分にとっては要、というようなところがあれば、それこそ私が追及したい部分です。
次に、なぜときどき展示や公開をしているかについて。こっちは結構はっきりしていて、同じ様な感性の人と出会いたいからです。偶然の人間関係(同じクラスとかバイト先での出会い)でも気の合う人がいるということは、意図的に探せばもっともっと気の合う、酷似した感性の持ち主に出会えるのではないかと考えているのです。自分がこういうものが好きで、こういうものに心動く人物だとプレゼンする為に、自分の制作物を公開するのが有効だと思うから、展示などの公開活動をしている次第です。もし、私にもっとわかりやすい趣味があったら(例えばスターウォーズの超大ファンとか)、そういうコミュニティで交流すれば同じような感じの人に出会いやすいと思うので、そういうのでうまくいくなら、公開活動をする必要はありません。でも実際のところ私には端的に言いあらわせるような趣味嗜好がなくて、でも些細な好みはとてもたくさんあって、それを共感できる人を求めているところがあります。同じような趣味嗜好の人がたとえ身近にいなくても、知らない街や国に範囲を広げたら、多分同じものに心動かされてる人が何人もいるんだろうと思っていて、昔なら出会えなかったかもしれないそういう人に、今の時代なら簡単に出会えるかもしれないと思うと、ちょっと行動してみようかなという気になるのです。私が理由もよくわからず描き続けている絵をみて、大多数の人は何も感じないと思うけど、"なんか気になる…"というように足を止める人もいる訳で、そういう人たちの中に、私が探している人がいるような気がしています。"有名になりたい"とか"たくさんの人に気に入られたい"とかではないにも関わらず、より多くの人がみるような場所に公開したいという欲求があるのは、より多くの人の中から、よりシンクロ率の高い人物を見つけたいという考えがあるからです。
長くなりました。うまく言葉で表現できない事がたくさんあるし、言語表現にすると矛盾が生じる事もありますが、感じとったものがあるなら、不確かでもその感覚の方を優先していくべきだと今は思います
このブログ、一応生きてるけど、ほぼ死んでるし、なんの告知もしてなかったんですけどデザフェス44に参加する予定でした、前日までは。
もちろん料金も支払っていて、準備もできていたのですが前日になって急な体調不良に見舞われ両日とも会場に行くことができなかったんです。
いつもデザフェス後はここにまとめとか感想とか記入しておくようにしてるんですけど、今回はそれができないので、どんな感じでいけなかったのかを記録しておこうと思います。
長いです。
デザフェス前日(25日)、出勤中は"今日寒すぎるだろ"くらいにしか思ってなかったのですが、勤務開始後、急な寒気と吐気に襲われ08:20には早退。カードは切ったもののすぐに帰宅できず、座っているのも困難になり、医務室のベッドで寝かせてもらっていました。そのとき39度の熱が出ていて、多分インフルだからさらに悪化する前に病院に行って帰った方が良いと言われ、いや無理歩けないと思いながらも11:30くらいに職場をあとにしました。カード切ってから3時間も職場にいたのかと後で思いました。その後、一生懸命病院に行き、歩いて帰れなくてタクシーに乗り、ここまでで¥4,000近く飛ばし、インフルではないとわかったものの体調の悪さはかわらず、その日はそのまま寝て終わりました。翌日のデザフェス1日めはもちろん行けませんでした。昼間には熱もだいぶ下り体調が持ち直したかに見えて、twitterに明日は行きます!って書いたのですがその直後に容態急変。コントかと思うくらいに身体が震える寒気に襲われ熱はまた38.5をこえていて、2日めも無理だなと諦めました。普段風邪なんて引かないし、なんの予兆もなかったし、高熱なんて確実に幼少期ぶりなのになんでこんなタイミングなんだよと思いながら、LINEの先に散々愚痴り、twitterからは最悪ポカリよりお茶が良いとアドバイスが入り、アイスを買うくせだいたい食べずに帰っていく来客の残したアイスに救われ、間接的にみんなに助けられていました。しかしながら起き上るとすぐしんどくなるもんでコップも洗わないままシンクに溜まってるし、悔しさしかありませんでした。よく、ひとり暮らしでインフルにかかったときの苦しさ、寂しさ、不安がどんだけきついかみたいな話を聞くけどこんな感じなのかなと。
今回参加できなくて1ばん悔しいのは、出展料¥22,000と什器¥5,800の金銭面。2ばんめは、私の絵や私自身に会いにきてくれる方々に会えない事と、馴染みの作家さんたちに会えない事。3ばんめは、まだ出会っていない人たちに出会う機会を失くした事です。とくに11月のデザフェスは客層が好きなので本当に残念でした。知らない人と出会う事はかなり重要視しているのでその為の¥22,000と言っても過言ではないのです。
作品としては、今年は本当にリアルが充実していて、ぱりぴ疑惑が浮上するくらいオールシーズン遊び呆けていた為、ろくに制作しておらず、出展が近づいてから一気に仕上げたようなだらしない感じなんですけど、やっぱり遊びまくってただけの事はあるというか、自分的にいい感じのがいくつか描けていたので、それらの原画を公にできないのが残念でした。そういう意味では今回出れなかった悔しさによって自信に気がついた部分があるのでよかったのかもしれません。大多数の人と感覚が合わないのは100も承知なので、それらに寄せていくよりむしろ、私自身が見て心地良いもの、興味深いものをより高い精度で生産していくべきだろうと感じています。活動目的である"自分に似た感性の人と出会う"ために自分の好みをより明確に表現できるようになりたいし、表現が追いつかなくても、より多くのものを感じ取れる能力を身につけていきたい考えです。
とりあえずかなり悔やまれる。その一言に尽きます。
来年もいくつかイベント出展など考えているので興味のある方はぜひよろしくおねがいします。