9/158。
これ、今年の9月からわたしにできた時間。一週間(24時間×7日=158時間)のうちの9時間。
それまでは0。いや、ほぼ0というべきか。いや0とは言ってはいけないのか。。たまに夫にお願いしたりしていたから。。
とにかく次女が学校があるという状況が九月から発生したため、学校が休みだったりしなければ、週9時間は自分ひとりの時間ができるというわけ。
多い?少ない?それは人によるらしい。ついにできたね!と喜んでくれる人。そんなもん?少なくない?とびっくりする人。後者が多いかなぁ。。
前述のとおり、九月までは次女は通常は常に一緒。買い物もあまりないけど人と会うときも一緒。
正直、その辺は楽になったかな。いくつか書いたけど、今の次女は怒りの導火線がスタンばってる状態で大変。そんな中の買い物って。。自分の服やらの嗜好に付き合わすならまだ覚悟もするけど、たいがいは食料の買い物がメイン。すなわちそれって必要不可欠な買い物。そんな買い物で辺に導火線ついたときにはもうなんだか投げ出したくなるもんな。(長女、息子で嫌という程経験済み)だから9時間には助けられている。ひとりだとこんなにテキパキできるんだと感動さえ覚えた記憶がある。
友達と子どもなしでお茶、ができるようになったのも嬉しい。友達は何人もいないし、実質いろいろわかってくれてお茶してくれる人って片手も余るくらい。短い時間で失礼。でもいいよ。はなかなかわかってもらえないこともあるしありがたい。
大げさかもしれないけれど、そのことで、なんとか世間と交れてる気がしています。
次女が邪魔とかいう意味ではなく、次女がいたら、ランチに誘われても、騒いだらどうしよう、が誘われて嬉しいよりも優っていた。もちろん自分からは誘えず。
僻みと思われても仕方ないし、被害妄想だと笑われても仕方ないけれど、自分がすごく取り残されている気がして落ち込んだりしてました。
まだまだ、実際それが9時間を手にした今全くなくなったかというと違って、午後からは次女がいるからランチは今も難しい。基本は家で子どもたちのお弁当の残り。レストランウィークの話とか聞いたら羨ましくない、とは言わないけれど、九月までの、「取り残されている気がした」期間は自分をいくらか強くしたらしく、意外に気にしてない自分がいた。ひとりの自分を前よりかは愛せるようになったのは、「取り残されている気がした」期間に悩んだことと、この9月から得た9時間のおかげかもしれないな。
9時間パワーで、自分らしく、行けたらいいな、と思うのでした。