アメリカで暮らし始めて四年たちました。
遡ること四年前。海外旅行もいったことがないわたしが当時3歳の長女、1歳の息子を連れ、空港に降り立ちこちらでの生活が始まったのでした。
日本からアメリカの引越し、飛行機については今でもひしひしと覚えています。。それだけ大変だった。。
話せば長くなるので割愛しますが、未だに根に持って鮮明に覚えていることの一つは、さあ、怒涛の14時間のフライトを終え、入国審査もおわり、一人子ども二人を連れ、心身ともに疲労困憊、、あとは夫が迎えにきてるはず、と出口を出るも、そこには夫が、いない

探せどいない。。
航空会社のオプションで係の人が一緒にきてお手伝いをしてくださったのだけど、インド系のその女性も、あれ?大丈夫?と心配顔。
頼りになるのはメモをしてる夫の携帯番号。当時のわたしの携帯は海外で使えないものでしたから、その女性に電話の方法を聞こうとした。まずは円をドルに変えなきゃいけない。両替方法も聞かないと。。あたふたしてたら、メモを見て、わたしがかけますよ、と夫に電話してくれた。
あ、ありがたい。。
でも何度かかけても夫は出ない。。知らない番号だからか、、出れない事情があるのか。。
生活はおろか、まともに旅行もないからはじめての海外。
家の住所はわかっている。ならばタクシーか。鍵はないけど、家にいけばよいか。タクシー、ドルがないけど、クレジットカードはいけるのか、円のクレジットカードでもいけるのか、チップはいくらか。。頭の中をぐるぐるぐるぐるいろんなことがかけめぐれど、機内で全く寝てないわたしは、すぐに考えが巡らない。
まずはバッグにあるガイドブックか、と荷物をとろうとすれど、そばには長女と息子。同じように疲れているわけで、グズグズしだした。長女の乗るベビーカーをおし、息子は抱っこひもで抱えながら、かつ、たくさんの荷物。途方にくれるなんて大げさかもだけど、途方にくれていた。
お手伝いの女性にはあまり待たせてしまうのも悪いから帰ってもらった。大丈夫?大丈夫?となんかいも聞いてくれた。大丈夫じゃないけど、大丈夫といった。
ぐずり対策でもってきた食べ物もそこをついている。何か買わないと。。グズグズする息子をかかえ、長女をあやし、そんな中ではカバンにあるものをとることさえ困難でした。
そうこうしてるうちに、夫が走りながらきた。
今の自分なら、確実に殴ってるとこですけど、殴る気力もなく。。
そして夫の口から出た衝撃の言葉。
だってさ、ナビでさ、40分って出たから、40分前に出たら、すっごい混み出して到着時間がだんだん延びてさっ。
このとき、いや、週末、しかも空港までの道ってだいたい混まないか?ナビ過信しすぎだし、疲れてる子どもがいるの考えたら自分は多少待っても早くくるって選択肢はなかったのだろうか。。(しかも迎えにくる前は遊びにきていた知り合いと遊んでいる夫)
と、わたしは思ったのでした。
しかしまあよく覚えていること

それだけ印象深かったのよね。。いや根に持ちやすい性格なだけか!?
それから四年たちました。いろんなことがありました。あとどれだけいるのかなぁ。