11月も後半。今年も二カ月ないんだな。早いですね。毎年早く感じます。1日1日は長いのに。。


最近、というか、今年は、自分らしさとは何か、について、よく考えさせられた一年でした。

きっかけは、今年の目標に、ぶれない自分、を掲げたことなんですが。。


目標を守れたか、否か、では、紛れもなく後者です。

今年はいろんな意味で悩み、苦しんだように思います。

そんなことが続くと、どうしても自分を責めがちでした。
わたしが悪いんだ、ダメなんだ。。

それは、言わずもがな、辛く苦しいです。


あることがあり、自分にも非がある、と考えること、わたしは悪くないと思います。

非があった、学んだ。次はそうならないようにしよう、と考えるきっかけになるし。


でもそれを突き詰めすぎて、自分を責めてしまうのはまた違うと思います。


わたしは、しかし、そうしていたように思います。



それを繰り返した一年でした。
一時期は、人と話すのさえ、おっくうでした。数少ない友達とは楽しく話したけど、自分なんて、所詮ダメな人間なんだと思うことが多かったです。


このブログには好き勝手させてもらってますが、なんだかんだいっても、子どもたちの諸々、家事。しんどいことはあったけど、やることがある、というのはありがたいのだな、と痛感しました。それがなければ、どうなっていたかわかりません。



そして、悩み苦しみ、わたしなりに至った考えがあります。


極めればそうで、わたしが言わなくとも、わかっている人はたくさんいるのですが、それは、自分の味方は自分、だということです。


自分が自分を認め、時にいたわり、時に励まし、時に叱咤激励し、、いろんな意味で、自分を一番想えるのは自分なんだ、ということです。


逆に、自分で自分を否定しては、もうらちがあかなくなり、落ちてしまうだけなように思いました。


自分を想う。それは自分の考えを通してばかりとか、ワガママばかり言うとか、他の人を思いやらない、とかではなく、自分のありのまま受け入れることではないかと思います。

自分が大事!だから他はどうなってもいい。と言う人もいるでしょう。

わたしも性格がいいか悪いかというと、腹黒い部分もあるし、なんともいえませんが、他人がどうなってもいいとはあまり思えません。

人からしたら、しっくりこないかもですが、30年以上生きてきた自分はなかなかかえれません。他に認められなくても、仮に要領が悪いと言われても、自分は自分ですから、不器用なりに生きていければな、と思いました。


長かった、、ここまで行き着くのに、半年かかりましたし、今でも身体が疲れていると、気持ちも悪い方向に行きだしそうですが、、



今年中にそれがわかってよかったです。