娘が通うプリスクールで、ちょっと他のクラスメイトとトラブルが起こりました。
結果論ではありますが、結果がわかった今、娘にたいし、この問題を解決する過程で、どこまで娘を信じることができたか、、、親として娘に話したことは正しかったのか、、、
正直きちんとできたとは言えません。。
その問題が一旦落ち着いた後、娘のバッグからファイルを取り出すと、このプリントが入ってました。
うまく説明できないけど、なんだか胸が締め付けられました。。
ご覧のとおり、出来てるか出来てないかと言えば圧倒的に後者です。
前に書いたけど、娘は英語もだんだん出てきたりして、すごいなぁと思っていたけど、実際はまだまだ大変なんだなぁと知らされました。
けして、プリントができてなかったのが親として情けなかったり、悔しかったりしたのではなく、娘がクラスでどんな思いで毎回こんなプリントに取り組んでるのかなと考えたら、親として、胸が締め付けられる思いでした。
去年九月から通い始め、一度もスクールに行きたくない、とは言ったことがない娘。
熱で休まなくてはならないときは、ほんとに悔しそうでした。
日本人もいるとはいえ、大半はアメリカ人。先生もそう。クラス内は英語。
まだ四歳でそのような環境に入った娘。もちろん、同じような日本人の子どもは他にもたくさんいるので、娘が特別ではないのですが、そんな環境にいても、文句も不満も言わずに毎日通っている娘。
もともと、新しい環境がそんなに苦手な子ではなかったものの、不満を言わない娘のことを、たくましくてさ、なんて笑いながら友達に話していた私。。
たくましいのはいいことだけど、その娘の本心までは目を向けようとしていなかったかもしれません。。もしかしたら、英語わからなくてしんどいな、と感じたこともあったかもしれないのに、、、
むしろ、足痛いー、とか、朝から少し機嫌が悪かったりすると言ってた娘に、じゃあ学校行かなくていいんだね?と言うことで、ねじ伏せるようにしていた私。。
その言葉の裏には何か意図があったのかもしれないのに。。
プリントをじっと見てた私に不思議そうに娘がこう言いました。
「難しかったー。Bを書きたかったけど、Bがわからなくて。。なんか全部これ(P)になっちゃった。これ(H)は私の名前にあるからわかるんだけど」
心なしか、しゅんとしてたけど、すぐ、ママ遊んでくるねってオモチャの方に行った娘。
負けず嫌いの娘。
周りの子たちがスラスラ書いてたとしたら、どんなに悔しかったり、苦しかっただろうと思いました。
プリントはこれが初めてではないし、今までもそんな思いをどれほどしてきたのだろうと思うと、胸が張り裂けそうでした。
悔しい思いはばねになりますし、悪いことではないですが、小さな胸で、きっといろんな思いをしてきたんだと思うと、娘がまだまだ小さく儚く見えました。
間違ってることをしたら、親としてはもちろん正さなくてはなりません。しかし、何より私は娘の親。
改めて、娘をしっかり見つめ、見守り、育てていかなくてはならないなと、痛感しました。
娘をぎゅっと抱きしめると、それがすごく久しぶりに感じました。
抱きしめた娘の肩。けして小柄ではないけど、まだまだ小さくて、、、
くすぐったいよーと笑う娘がいつも以上に愛しく感じました。