虚無感、諦念、なんとなく薄い紫色みたいな、日影みたいな日向、
秋の感じがする。
秋風のこころよさに、という言葉が脳裏に浮かんできて、どこかで聞いたな、と思って検索したら石川啄木。
かまってちゃんの友達なんていらない死ねにも、唐突に秋の空が綺麗だ、という歌詞が入っていた。
太宰治も秋に関する随想のような作品を書いている。
私の、とても大事な作品、HUMAN LOSTも、舞台は秋、あの作品に出てくる、「思いは、一つ、窓前花。」というエピグラムの、花は研究によるとコスモスなのではないか、とされている。
メンヘラの人生に何度も訪れる、あの感じ、あれはいつも秋なのかもしれない。
精神科のデイケアみたいなものに行っていて、先日、その最終回に参加した。
積極的で美的センスがあって、でも人を簡単に信じてしまうような危うさのあるASDの女の子が、最後に参加者たちとインスタを交換しようとしていた。
私はそれに気づいて、そそくさと一人でそこを出てきた、空は無色の比喩のような水色、灌木、薄暗い、オレンジじゃない、っていうかむしろ色の無いような、ただ影の長い夕暮れ、彼岸花、あの感じに襲われた。
精神科のデイケアとかグループワークとかって、連絡先の交換は禁止ということになっているけれど、往々にして守られていない。
本当によくないと思う、私は絶対にこのルールを守ろうと心に決めている。
連絡先を交換してはいけないような人間だから、医療従事者の監視のもとの安全な関係が必要なんじゃないか。
まあそういうやつだからこそ、連絡先を交換したくなるとも言えるけれど。
精神科なんて碌なものではない。
私はあそこに行くことが社会的に必要な人間であり、だから治療に保険が適用されるし手帳も出るのだと思うが、それでも私が、私が主体的に生きるためにあそこを利用してるんだという意識は持っていたいと思う。
病名がつかないことに対して、自分の苦しみを軽視されていると感じる人がいるようだし、それも理屈はわかるが、私は病名をつけられることで分かったような顔で処理されることが嫌だ。
私はいかなる文脈からも、自由でありたい。
自由であるために、大丈夫になりたいと思った。
私を取り巻く個人の集合体、社会とか言われるそいつないしそいつらの文脈において迷惑なこと、例えばODとかをやるから、文脈に当てはめられる、やめることで、表面上は迎合することで心だけでも自由になれるかなと思った。
でもそんなことできなかった大丈夫になれなかった、なれなかったなれなかったなれなかった
お酒辞めたいな。
二日辞めて、三日目で苦しくなって飲んで、最近はやっぱり毎日飲んでいる。
お酒は、弱いが飲めなくはないタイプで、専ら家で飲む。
親に許された酒量があるが、それで満足できなくてこっそり多く注いだり、さらに盗んだりしてしまう。
記憶は、ない時もある時もある。
明日も、私のことなんて本当はいない方がいい、と思ってはいないかもだけど私がいなかったら少し幸せになれるみんなと、みんなと関わりたいけれどみんなに何も与えられないゴミみたいな、生ゴミなのか、燃えるゴミなのかわかんない、人の形だからどちらにもなれない私がいるのだ。
じゃあ、今だけでも幸せになりたいじゃないか。
あの日の後、精神科帰り、私は病院近くの喫煙所でタバコを吸っていたら、NAのキータッグ鞄につけたおじさんがいた。
頑張っていて、偉いと思った。
話しかけてそうは言わなかったけど心底尊敬する。
それを鞄につけるのは…多分私が感じたような偉さ、で自分を守りたいのだろうか。
偏見もあるだろうけど、敢えて身につける選択の奥にきっと心細さがあるような気がする。
すごく、すごく応援している。
市販やめて半年弱になるけど、お酒はやめられないな、私。
そして、辞めないといけなくなるって思ったら医者に言えないし自助グループにも行けないよ。
幸せになってほしい。
私は、社会が私に生きさせようとしている、私にとっては生きることのメリットより死ぬことのメリットの方が大きいのだが、「社会」はなけなしの生きるメリットを押し付けたり死ぬことのデメリットを正義として押し付けたりしたいんだという圧を「正しく」読めるようになったんで、でもそれ以外のモチベーション無いからすごく適当に生きてみるけど、
もし貴方に、貴方を短期的には喜ばせるけれど長期的に壊してしまうものを辞めたいと思えるような何かがあるなら、それは素敵なことだし、どうか幸せになってください。