海の見渡せる街でどこへでも行けると思って育った10代
大学進学と共に進学先である都市で一人暮らしを始め、
ワーキングホリデーや短期留学、諭吉があればすぐバスに飛び乗る自由奔放な20代を経て、
28歳で国際結婚
同世代の夫と未就学児が3人
可愛いお子たちとマイホーム。
子供の小学校進学を前に30代で生まれ故郷へ戻ってきた私は、
夫への感謝と共に「ハッピーBBA!!」を自称するいたって普通の
いえ、なかなか順調な30代のはずでした。
「わかれよう」
仕事が忙しく、ここに越してきてからしばらく疲れているように見えた夫
「急に全てが嫌になった」
うつ病を疑い心療内科の受診も打診しました。
もちろん、受診拒否。
「気持ちが切れてもう一緒に頑張れない。俺、家出るわ」
出会って14年目、結婚から9年を迎える目前の出来事でした。
夫の中ではシオモニ問題が一番のウエイトを占めているとのことが、
シオモニへの悪い感情を持ったこともなかった私にとっては、
青天の霹靂でした。
詳細は追々
納得はしていませんが、不思議と、その日から今日まで個人的な悲しみは感じていません。
子たちのため、夫のため、家のことも自分の仕事も全力で過ごしてきた自分への後悔がなかったんです。
ただ、「明るい将来」「家族」それらに疑いがなかったはずの子供たちのこれからのことが
心配で、悔しくて、いたたまれませんでした。
そして正直私の力だけで
「何不自由ない」を子供たちへ与え続けてあげられる自信がありませんでした。
国際結婚、国際離婚、育児とお金のこと、韓国のこと
このブログがこれからの自分の学びにつながるよう、
そして、似た悩みを持ちながら前を向く誰かの役に立ちますように。
これは、世界のどこへでも行ってきてすっかり落ち着いたおかんが、
再び、世界のどこで生きても、子供たちを幸せにできる最強のおかんになるための記録。
