先日は、奈良教区葛城北組・仏教壮年連盟主催の県外研修に参加させていただきました
西光寺からは葛城北組仏壮会長であられる下村氏を含めて11名のエントリー。
先ず訪れたのは、現在は真言宗別格本山(通称:ひのやくし)となっている法界寺(ほっかいじ)
※この寺で御誕生になったわけではありません。
親鸞聖人の御生涯については、誕生日を含めてまだまだよくわかっていないことも多いようですが、どうやらこの界隈(通称:日野の里)で御生れになったことは”恵信尼ご消息”などから考えても間違いないようです。
以前に聴講したあるご講師のお言葉をかりれば『落ちぶれたエエトコのボンボンとして生まれる』ということになりますが(^_^;)
私なりの解説を加えますと・・・
★エエトコのボンボン=藤原鎌足(鎌子)の流れをくむ日野家のご子息として誕生。
★落ちぶれた=逼塞(ひっそく)しつつある。
逼塞の原因は、政治的な事情と経済的な事情があったようです。
父は有範(ありのり)、母は吉光女(きっこうにょ)
養父は伯父にあたる範綱(のりつな)であり、幼少名は松若丸(松若麿とも)と伝わっています。
幼少期の諸事情については諸説ありますのでここではやめておきましょう。
この法界寺は、当時は【天台宗】のお寺であり、日野家の菩提寺であったとのこと。
座像の阿弥陀如来が安置された阿弥陀堂があり↓
あくまで推測ですが、幼少期の親鸞さまが伯父に連れられお参りされたり、境内で遊んだりされていたのではないか?、ということです。
こちらは、薬師如来(非公開)が安置されている薬師堂↓
ココから徒歩で西本願寺の飛び境内地である【浄土真宗本願寺派・日野別堂誕生院】通称:日野誕生院へ。
※この寺院で御生れになったわけでもありません。親鸞さまの誕生を顕彰した誕生講があり、昭和6年に新本堂が建立されました。
こちらの本堂に於いて一同で仏参。
裏手には日野家の廟所(お墓)があるそうです。
横手には、親鸞さま幼少期の銅像などが。
ふもとにはTV番組などで幾度となくとりあげられている有名な誕生院保育園。
一般寺院でも保育園や幼稚園を経営されているお寺はめずらしくありません。西光寺も保育所を担っていた時代がありました。
一行は、ここからまたバスにて京の東山を目指します。
親鸞聖人が慈円僧正(慈鎮和尚)のもと剃髪し得度されたことで有名な天台宗の青蓮院へ。
「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」
上記の日野家の逼塞ですが、よくぞ逼塞しつつあってくれました!
そうでなかったら歴史は変わってかも?もしかしたら私たちにとって最も大切な教法(おみのり)も伝わっていなかったかもわかりません。
再び、前出のご講師のお言葉を借りれば、『食べるために全寮制エリート校に入学』
★食べるため=経済的に困窮
★全寮制エリート校=比叡山延暦寺
・・・でありますね(^_^;)、そういった事情もあっての出家得度であったと伝わります。
青蓮院は、まさに親鸞聖人御絵伝の【出家学道[一]&[二]】の舞台の場所であります。
趣きある庫裡に庭、お堂も複数確認できます。
※内部は撮影NG
興味深いのは親鸞さま剃髪時の髪が残されているということ。
それは、御生涯の絵画が沢山かかげられたお堂と、外部にもあり、見覚えある聖人筆跡の『南无阿弥陀仏』お名号も刻字(画像ではわかりにくいですが)されていました。
個人的には・・・歴史上の人物でもあるので、是非DNA鑑定を!!という思いであります(^_^;)
これからの科学の発達で、さらにいろいろなことが判明するかもわかりませんよ。
この後は、お斎(昼食)→買物→帰路に。
私自身、京都に約8年ほど住まいながらも、実は一度も訪れたことのなかった誕生院や青蓮院に寄せていただくことが出来、ありがたい御縁でした。
葛城北組仏壮連盟のお役の方々には、細やかなお心遣い、何から何までお世話になりありがとうございました。
南無阿弥陀仏
釋 俊彰