拙寺のある周辺地域は伝統的にお盆参りはありませんので、平素ご無沙汰気味の門信徒さんからぽつぽつ依頼がある程度。
8/1に一軒、8/10~16の間に十八軒でしたが(←同規模の他寺に比べて極端に少ないはず)そのほとんどは前半に集中して15日と16日は一軒ずつ。
おかげさまで、さほど時間におわれることもなく、初めてむかえられるお宅では(誤解の多いお盆ですので)法話(←拙いですが)をさせていただき、本年も無事に終えることができました。
※この時期、いそがしいとするならば?あくまでお寺(僧侶側)の勝手な都合であり【ごめん~さいなら】とせかせかまわるのは無礼かと。
この時期の喜びは、普通の月参りでも非日常というかお盆休みでご親戚が来られていたり賑やかなこと。
大阪市内のホテルでご法事も勤めさせていただきました。
国際結婚されて海外にお住いのファミリーが帰省中で後ろにお参りされているお宅があったり(←日本仏教を背負っているようなプレッシャーが笑)、昔の話を教えてくださるおじいさまおばあさま。
賑やかでなかったとしても「また逢えましたねー」と南無阿弥陀仏を中心に展開され、話が咲くのが真宗のお盆の味わいかと思います。
お盆(盂蘭盆)は本来7月15日(旧暦)であることは何度も書いていますが、盂蘭盆経というお経は中国成立の偽経で、目連尊者が神通力で餓鬼道に墜ちてしまっている亡母を発見する~略~という説話。
盂蘭盆(ウランヴァナ)の意味は「倒懸」「逆さ吊り」=「最大の苦しみ」、その苦しみからの解放(問題解決)が『盆踊り』というのが私たちの時代の定説です。
ところが↓↓↓こういった説もあることもリンクしておきます↓↓↓
http://www.chugainippoh.co.jp/ronbun/2013/0725rondan.html
『お盆の意味~ご飯をのせた盆・・・と推定』
あくまで推測や推定ということですが、偽経ではないということです。
他にも諸説ありますよね。ウランヴァナは現在の中東の言語がルーツで意味は「霊魂」だという説もあります。
いずれにせよ、浄土三部経を根本聖典とする私たち(真宗門徒)には重要なスートラ(経)ではないと言えます。
この時期に思うのは・・・迎え火、送り火、燈籠流し、供養花火、棒を突き刺したキュウリやナスビ。
情景的には美しかったり面白かったりするかも知れない。
しかし、お盆の時期にあの世からこの世へご先祖の魂がかえってくるという物語(風習/因習)がはたして仏教なのか?
また、ご先祖は精霊となってお墓を住処としておられるのか?
(それならば、なにも人里離れた場所にお墓を建てなくても。)
もしも先立たれた大切な方々がふわふわとさまよったり、目印(灯り)がないと迷ってしまうような存在になっていたとするならば、仏教としては大失敗ではないでしょうか?
もしかしたら、ふわふわとさまよったり迷っているのは私たち(自分自身)なのかも知れませんよ。
お盆=最大の苦しみ、が、聞法によって最大の喜びに転じるのが浄土真宗のお盆なので、盂蘭盆会を歓喜会(かんぎえ)と呼んでいます。
ご先祖は敬いの対象でありますが供養の対象ではありません。
諸仏の一因といただき、なにもお盆でなくとも出逢わせていただける。お念仏のなかに阿弥陀さまといっしょにいつもぬくもってくださっている。還相回向としてお働きくださっているのではないでしょうか?
日本仏教には十三宗と五十六以上の宗派があるので、それぞれに違うお盆があることでしょう。
そこは尊重したいところです。
しかし、TVなどでやっている「正しいお盆の迎え方」などは、実はどこの宗派にも該当しない出鱈目ばかりですから真に受けないように。
8/15は日曜学校生と恒例の忠魂碑参拝(戦没者追悼と平和への誓い)でした。
お盆の時期にお出逢いさせていただくことできた皆さま、ありがとうございました。
合掌
釋 俊彰