知友諸々の関係で、何度か西光寺にお参りくださったことがある故・司馬遼太郎先生
うちの親戚寺院にも『街道をゆく』を執筆中にたずねられたり(取材?)なにかとご縁がございました。
長編歴史小説『坂の上の雲』は先生の代表作のひとつで、
近年NHKでもドラマ化されています。
実在の秋山兄弟(好古と真之)と正岡子規を中心に描いたフィクション作品。
(私、このドラマが好きでわざわざ松山までいきました)
坂の上にある雲を目指し、頑張って頑張って登る、そしてようやく登りきっても、決して雲には手が届かなかったことが判明する。
当時の日本のおかれた状況を表現した切なく虚しいタイトル
仏教でいう自力の世界となんとなく似ているように感じるのは僕だけでしょうか?
そのNHKドラマのなかで、個人的にものすごく印象に残っているのは、
秋山兄弟が、たったひと組の茶碗や箸を共用する場面。
弟を先に食べさせている間、お兄ちゃんは待っているわけですよ。
(いや、その逆だったかな。)
茶碗に盛られた白飯と、その上にのせられた沢庵。
好古お兄ちゃんは口癖のように言います。
「ええか。身辺は単純明快にじゃあ。」
昔の人は現代人よりも物に執着するイメージを持っていたのですが、実はそうでもなかった。
それどころか(いつ出兵し戦死するかも知れないという気構えからか)身辺の物品には一切執着しない。
(もちろん、いつの時代も個人差があります)
物は・・・持って死ぬことができない。
そして必ず近い将来、今生とお別れせねばならない日がやってくる。
”もったいない”というのは”捨てない”ことではなく、
食べ物なら、この私のために犠牲になった命を無駄にしない。
物品ならば、決して増やさず不必要な物は抱え込まないことが”もったいない”を減らすことではないでしょうか?
別段、終活というわけではないけれど、
周囲の物品に固執し過ぎず、
シンプルな生活を心がけたいとつくづく思います。
余談ですが、このNHKドラマ『坂の上の雲』で秋山兄弟を演じる二人、本木雅弘氏(当時シブガキ隊)と阿部寛氏(当時メンズノンノモデル)とは、
私が芸能界に片足を突っ込んでいた時代に(同世代なのです)TV局の楽屋を共用させてもらったことがあります。
釈 俊彰