東京坊主コレクション | 奏楽山西光寺BLOG

奏楽山西光寺BLOG

浄土真宗本願寺派西光寺(奈良県香芝市関屋)は、早期から檀家制を廃止し、現在は門徒会で護持されています
環境問題へのささやかな取り組みとして超小型モビリティを導入
グランドピアノを常設し地域交流を意識した音楽イベントなども企画発信中

ちょっと古いですが、2007年のTokyoBouzCollectionにおける浄土真宗本願寺派の声明(↓youtubeリンク↓)

https://www.youtube.com/watch?v=w4UbCkRsy3c

無常偈に女性の僧侶の方が御文章拝読をかぶされる(そんな作法、実際にはありませんよね?私が知らんだけ?)場面は、ミュージカルの掛け合いさながらのパフォーマンス。


坊主バーや坊主カフェ、美坊主写真集・・・日本における仏教界も時代と共に様々な変化と試みがあります。

この催しは既成仏教の各宗派の特色があらわれていて他宗の伝統の素晴らしさも感じることができ個人的に楽しめました。(ぜひ定期的に開催を)


しかしやはり慣れ親しんだ本願寺派声明の旋律にはグッとくるものがあります。

あたらしいモノ(作法)を作るのもよい試みだと思いますが、こういった伝統的な声明は大切に受け継がれていってもらいたい。





ところで、念佛教団に対する弾圧【承元の法難】については、よくご存知の門信徒さんも多いと思いますが、

そのきっかけとなった鈴虫・松虫事件は、この上にリンクしたような声明(六時礼讃)の美しさに姉妹たちが魅了されたからだ・・・そんな説も耳にしたことがあります。

もちろん鈴虫・松虫姉妹が御所における女官暮らしの人間関係に疲れ果て、安らぎを求めていたところに、専修念仏という教えが響いたということなのでしょうが、一種の声楽(音楽)によって伝わると、よりストレートに入り込んできた・・・う~ん、なんとなく共感できます。



このとき死罪となった、安楽房は白州の上で拷問されこう叫んだと伝わっています。

「己の欲と怒りに任せて、権力を振りかざし、無上の妙法、弥陀の本願を説く者を迫害する、その大罪、万死に値しますぞ!」


さぞ無念であったでしょうが、以下の辞世の句から、お念仏にたいする信念というか、一種の悟りの境地をはかり知ることができます。


安楽房 辞世の句

「今はただ 云う言の葉も なかりけり 南無阿弥陀仏の み名のほかには」


住蓮房 辞世の句

「極楽に 生まれむことの うれしさに 身をば佛に まかすなりけり」



我らが親鸞さまもいったん死罪を言い渡されますが、第三者(九条兼実公など)の計らい(憶測的にですが、色々な意図があったかと)で越後へ流罪となりました。



この時もしも・・・そのまま死罪に処されていたとしたら?・・・いまの教えがこの私たちにとどいていなかったとしたら?・・・と思うとぞっとしませんか!?



釈 俊彰カゼ