最近歳を重ねてくると、涙腺がゆるんで仕方ないですね。
ちょっとした話でもウサギみたいに目がウルウルしてしまいます。
それが身内の話になるとなおさらで、すぐにイイ話だーとウルウルします。
というワケで本日は
歳を重ねて気付いた、どんどんヒトの為が増える人生
というお話しです。
昔は感動の話を聞いても、作り手側の気持ち、というか、裏にある真実を想像して
例えば、感動させてお金を儲けてやろう、なんていう魂胆が気になってしまい
そんな人の思い通りになってたまるかとか考えて素直に感動できませんでした
とにかく、ひねくれもの、だったんです
でも、なぜか歳を取ると、その辺りが、気にならなくなってくるんです
話を聞いても、記事を読んでも、見かただけでも、ウルウルしてしまいます。
で、いろいろ理由を考えてみると、何となく理由が分かってきました。
それは僕の場合、自分のコトが大事じゃなくなって来たから、なんです。
若い頃は、体力は有るけど実績がない、そんな時代は自分が大事なんです。
社会で信頼や信用を得る為には、体力のある若いうちにやれるコトをやる。
僕の若い頃は、他のヒトのコトなんか考えてる余裕なんか無かったんです。
やっとの思いで実績を積んで、その結果、お金や信頼を手に入れる事が出来たんです。
そうやって手に入れたモノを、歳をとってから何に使うのかココが重要だったんです。
僕の場合はそれが、ヒトの為、だったんです。
別にお金が余ってるワケじゃなくて、引き続きお金はだいぶ不足してますけどね
今は、好きな仕事で、実績の為に働いている、というより、家族の為に働いています。
生活面でも
自分の心配よりも、家族を心配、してしまう。雨が降っても自分より家族が心配です。
さらに
自分が楽しむよりも、家族が楽しいかどうか、と思うようになってきたワケで。
ちなみに、家族、と言ってますが、友達、近所の人、サークルの仲間でも同じですよ
社会やコミュニティの最小の単位が家族というだけで、その家族はココに住んでます。
つまり、僕の家族の為、は地域につながったり、会社につながって行くわけです。
つまり、家族を大切にする為には、家族以外も大切にしないと成り立たないんです。
最初から家族がいない方は、地域や友達、サークル仲間の為に何かすれば良いですね。
歳をとると自分以外のヒトを大切に思える、大切にしたくなるモノなんじゃないかなぁ
だから、他人の感動話にも素直に、喜んだり、悲しんだりできるようになる。
そういった心の感受性が高いヒトが多い程、住みよい社会になる思うんです。
つまり、ヒトの為、は、良いことになって自分にかえってくるというコトなんですね。
なんだか最近は自分勝手なお年寄りが増えてる気もしますけどね。
僕はそんなヒトにならないよう注意しながら、引き続き歳を重ねたいと思いました。
本日も最後までお読み頂きましてありがとうございました
次回もお楽しみに~