「戦巧者」堀秀政・桧ケ根の戦い | サイガのブログ・人間万事塞翁ヶ馬

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日々思った事、脈絡なく、書き申し候。


天正12年(1584年)の「小牧・長久手の戦い」
旧暦4月9日(新暦5月18日)未明に長久手付近で
野営している羽柴秀次の軍に徳川軍が強襲をかける

ここに「長久手合戦」の幕があがる

秀次軍の前(南方向)に駐留していた堀秀政は後方から
多数の鉄砲音を聞くと斥候として堀長政を北に向かわせる
そして近くを流れる香流川(かなれかわ)を前にして
桧ケ根(ひのきがね)の高所に陣を置き北に向かい自軍の
兵3000を三つの部隊に分けて防衛線をしく

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現・桧ヶ根公園(赤丸)に残る「堀秀政陣跡」の碑

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香流川 左が秀政陣 左岸の秀政兵が右岸方向から
襲いかかる徳川軍と闘う(赤線)


やがて秀次軍の敗残兵が駆け込んでくる事で徳川軍の
追撃を知った秀政は徳川軍の襲来に備える命令を出す

その秀政の作った防衛線の前に秀次軍を倒し血気にはやる
大須賀康高・榊原康政の軍は突入してしまう。

大須賀・榊原は秀政が待ち伏せをしているとは思わなかった
が一度敵軍の「領域」に入ってしまうと迂闊な後退は敵軍に
追撃をさせる事を許してしまう
もはや川向うの高所に陣をおく堀秀政軍に戦闘をいどむしか
なくなってしまった

この地形を読み、臨機応変な陣配置を即座に完成させた所に
「戦巧者」堀秀政の才能が伺える

秀政は鉄砲組に敵が20mに近づいたら撃つように命令をだし
ており、その鉄砲兵の弾込めの間は弓兵が敵に攻撃を加え、
それでも突入してくる敵兵には長柄兵が血祭りにあげていく

勇猛果敢で知られる三河兵もこの防衛線を突破する事ができず
やがて前線より後退していく

その期を察した秀政は采配をふり長柄兵を前に出して一気に敵
を殲滅しようと突入させる

大須賀・榊原の兵達はこの攻撃に狼狽して岩作(やざこ)城
方向に壊走してしまう

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岩作城跡にある碑(緑四角)


逃げる敵軍に追撃をかける秀政であったが富士ヶ根
(現・色金山歴史公園)に家康本陣の金扇の馬印を確認すると
それ以上の戦闘は不利になると察して楽田城に向かい兵を
引き上げてしまう。

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丘の右端が家康本陣の富士ヶ根
岩作城跡付近から東を見ており当時、秀政は丘の上に
金扇の馬印を見たであろう


戦闘に敗れたとはいえ堀秀政軍を戦線から離脱させた家康は
全軍をまとめて南下して仏ヶ根に集結させる。

そして北上してくる森長可・池田恒興を打ち取る事で決定的
な勝利とした

こうして「長久手合戦」は正午付近には終結する

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古戦場全体図