12/22 金沢vanvanV4





精神科に薬を貰いに行くことが急に億劫になったのは、およそ一週間前。


毎晩二錠ずつ飲んでいた薬の服用を急に辞め、はじめはこれといって問題もなかったが、徐々に身体に異変が生じてきた。


まず眠りが以前にも増して浅くなり、起きている時は酒を飲み過ぎた時のように頭がくらくらとして、時折、爪先に痺れを感じた。


そんな状態でいても、ライブという一日がやってくる。



石川県、金沢市。

最近読んだ米澤穂信さんの「ボトルネック」の舞台になっているのもあって、この街に来れる事は嬉しかった。

(かなり暗い内容ではあるけれど、生きている意味について真剣に考えさせる力がある小説だとも思うので、気になった方は是非ご一読下さい。)


ライブ前、決して自分の手で稼いだとは言えないカネで、金沢の新鮮な寿司を平らげた。


ぼくにとって贅沢というのは喜び以上に背徳感に溢れたものだった。

貧しく在れ、倹約家であれ、金を稼いで親へ恩返しをするべし、いったお国の風潮、世間の目、そういったものは、それを出来ないでいる僕にとっては只の暴力だった。

そしてぼくのなによりも愚かなところは、その暴力を受けて尚、自分を変えようともせず、今もこうして開き直っている部分にある。

親譲りの財産で無為徒食の生活をしている愚か者の言葉に、どんな説得力があるというのだろう。

くらくらとしたぼくの頭に、そんな考えばかりが去来していた。


とはいえ、自分たちがライブの準備をする時間には、その頭痛も収まっていた。

どんな名前の快楽物質がぼくを支配していたのかは定かでは無いが、ライブ直前には気分が高揚し、今日は素晴らしい演奏が出来るような気がしてならなかった。


結果は、そうではなかったが。


声はそれなりによく出ていたがギターはミスが目立ち、MCに於いては、直前に話そうと考えていたことが殆ど飛んでしまい、ただ暗い表情をした男が淡々と話して時間を潰してしまった。



ライブを終えて、倒れそうになった。


演奏中、忘れていた頭痛は思い出したかのようにぼくに降りかかり、脳をきつく締め付ける感覚さえあった。


それでも、話したい人がいた。

今日のライブを見に来てくれた、大学時代の先輩のSさん。

学生時代愛知に住んでいたSさんは今は富山に住んでいて、サイフォニカが富山や金沢にライブに行くと必ず顔を出してくれている。


終演後、Sさんに挨拶をした。

「富山にはタワーレコードがないから」といって生キタ、カセキを買ってくれた。


次いで、こんなことを言い出した。

「おれ、この間買ったサイフォニカのTシャツ、燃やしちゃったから新しいの買うわ。」


そう言いながら、タオルもいっしょに買ってくれた。


Sさんはライブに来るたびに物販を幾つも買ってくれた。今日のライブでは、Sさんが来なければぼくらの動員はゼロだった。

物販をたくさん買ってくれるSさんの心遣いが嬉しい反面、自分たちがちっとも前に進んでいない気がして胸がやたらと痛くなった。謝罪の言葉と、感謝の言葉が、交互に口に出て来た。


Sさんは、学生時代の他の先輩がぼくのことを応援してくれていることを話してくれた。

金沢からの帰り道、高速道路の路面の凍結の心配をして、回り道があることも教えてくれた。


Sさんともっと学生時代からたくさん話をしていればよかったなと、今更ながらに後悔した。



頭痛は収まったり悪化したりを繰り返していた。

2017年を締めくくるライブは幕を閉じた。


翌日、ぼくは急いで薬をもらいに行った。

薬が効いて頭痛がおさまると、又しても自分の行動を後悔した。




セットリスト

1. アリとキリギリス

2. hayari

3. ペルソナ

4. TNT

5. グッドウィルハンティング