ちょっとした別視点の話。


昔ハマっていたゲーム。
何度も友達と一緒にクリアしていた。
データを消してはクリアして、
また消してはクリアして。

二人でやったそのゲームは、恐らくは小1時間でクリアできるほどにまで、やり込んだ。

とことんムダを省き、
進むコースを覚え、
必要最低限のアイテム、
臨機応変する協力プレイ……

お互いの呼吸を合わせて進む冒険が、本当に楽しかった。
ゲーム自体も遊びとしては面白かったのだろう。
けど、
今思うと、誰かと組んで何かに真剣に取り組んだ事実は本当に少ない事実。
本当は組んだ相手と何かをする事が楽しかったのかもしれない。



人生の中で、
【誰と組むかというのが】
ビジネスでもスポーツでも重要とされるが、
小学校中学校という限られた世界の中でも、自然と気の合う仲間なんてものは作れたのも事実。

なにかがぶっ飛んでいた。
突出した才能があった。
人望があった、人気があった、カリスマ性があった。

昔の自分は何一つなかったと思う。
でも、
一緒に遊んだあの時間、
真剣に打ち込んだあの無駄な遊びこそ、
自分にとっては代え難い経験だったのかもしれない。


なぜそんなことを思ったのかというと、
とある動画で昨晩泣いたことが理由でもあるが、

本当の理由は、今日見た夢が原因だった。

昔遊んだゲームを再び今になって遊ぶ。

あの時の冒険の感覚。
パートナーとして本気で実力を信頼していた感覚。

きっとあの頃の二人は、
『世界中探しても俺たちだけにしか出来ないこと』
だった。


時間が立って、
大人になって、
進路がそれぞれあって、
遊ぶこと自体が減って、

でも、
確実に一緒にいた時間がそこにあった筈だった。
何かに打ち込んだと言える時間がその時だった。


すごく小さなことだけど、
世界中で俺たちが最強だったと思えたあの時間。
もっと難しいことがしたかったあの時間。

ゲームの世界だけど、何も怖くなかったと思った。


懐かしんで再現する夢の時間。

きっと夢の中で再会した数人の印象こそが、
僕の進む道の中で最高の信頼を置いた相手だったのだろう。



今生きているこの人生も、
ゲームのように一緒に挑み、一緒に苦戦し、一緒に悩み、一緒に成功を勝ち取ったとしたら
最高に楽しいと思えるのだろう。


後悔がしたいわけじゃない。
できる限り楽はしたい。
でも、

命懸けで何かに打ち込むことが、
生きている証、意味なんだと思った。



競う相手は自分の中にあって
目の前の小さいことを真剣にやって成功しちゃうとしたら、
きっとなんでもやりたくてしょうがないのだろう。

珍しくぐちゃぐちゃな文章ですが、
それもなにか自分にとって大事なことなのかもしれません。


2013はどうでしたか?

自分は最後にこの記事が書け、
この想いを持てて、
来る困難苦難を待ち遠しいと思う自分が、
今最高にワクワクしていると思います。


どんなことも、
これから起こることに
全力で打ち込むことができる素晴らしさに、


最高の自信と誇りが持てると思いました。



私は自由だ!
【仕掛語】
術中

罠にハマること。


例えば、
「今から魔法をあなたにかけます」
と言われ……。

……。


……。


……。


罠ですね。
待ってしまう感じ。

逆に
「最高の自分のイメージをして見て」
と言われ想像する自分。

罠ですねw
孔明さまの巧妙なです。

逃げて~(>_<)‼︎


人の無意識で
「危ない‼」
と叫ばれると体は一瞬固まるようにできています。
本当に危ないと思ったら、
「走れ‼」
と指示して上げてください。