このコーナーも約3年続いた。ネタがなくなったわけでもないが、もうくどくなったかなーっと今回で一応最終回である。全国のファンのみんな声援をありがとう(誰も声援なぞ送ってないって?)今回は、特別編。ちんとん先生が、まだ18歳のうら若い乙女の頃の恋の話だ。ファンの期待を裏切り、医療批判少な目(まだ医療批判すんかい)の柔らかいバージョン、それも2ページ特大版。途中でだるくなるかもしれない。その時は、コーヒーでも飲んで、読んでくれ。題して。
-あのころ確かに恋してた―
1980年、8月6日。私は、総合病院の精神科に入院した。私は、18歳だった。高校三年生だ。本当なら、受験や就職活動で忙しい頃。私だって忙しくしたかった。私だって行きたい大学があったし、みんなと塾とか行きたかったよ。でも、病気の方が忙しかったんだ。
入院して、まず何だか怖かった。精神科は初めてじゃないのに、何だろう。今でも、再入院する時は、そんな気持ちになる。やっぱりどんな開放病棟でもどこか精神科という場所は閉鎖的なんだと思う。ここも超開放的な病棟だったが、なーんか社会と遮断されたような、その時も窮屈なような変な気分だった。
入院したその日、一緒に付き添ってきてくれていた母も帰り、何をしていいか分からず、ベッドの上でぼーっとしていた。ぼーっの訳はもう一つあった。私は禁止でコンタクトレンズをつけていたのだが、その時、コンタクトをはずしていた。そのぼーっとした視界に一人の白衣を着た男性がやってきて、「今日から担当になる森山です。よろしく。」とそれだけ言って、ささっと帰っていった。子供ながらに『よくもまー、あんな簡単な挨拶があったものだなー』と変な感心をしたが、それが、私の1980年を変える初めだった。
その夜、私はコンタクトレンズを付けていた。そこへ担当医の森山先生が現れた。彼は今晩、当直らしい。ハッキリした視界で見ると、彼は好青年だった。そしてニコニコ笑ってやってきた。入院したばかりの私は、話し相手もいないので、気を使ってくれて、色々話をしてくれた。
私も先生の話につられて、色々先生の学生時代の話なんかを聞き出したりした。中学、高校と陸上部、大学はラグビー部、「僕は、スポーツマンよっ」と言っていた。広島弁丸出しの森山先生は、大学は東京の大学だったというので、「先生、東京ではやっぱりあっちの言葉話してたん?」と聞くと、「そりゃーねー」というので、当時、私は標準語を話す人をあまり見かけなかったので、珍しいので「しゃべって、しゃべって」と(多分、テレビのドラマの口調だと思うのだが)いうと「広島で話すといやみに聞こえるけんねー」と、しゃべってくれなかった。
こういうたわいもない話を消灯までしていた。先生で見れば、担当の患者の情報収集だったと思うが、恋多き年頃の私は、心の幼い私には、そうは思えない、夏なのに何だか寒々としたこの病棟に楽しみを見つけた。多分、この時この医師(研修医だったが)に恋をしたんだろうと思う。
森山先生は、毎日診にきてくれた。私に限らず、研修医はみんな担当の患者を毎日診ていた。診るといっても、面接という感じじゃなく、普通にデイルームや病室で話すという会話みたいな感じだ。毎日会えるというのは、嬉しい。ただ、月曜日だけは、森山先生は出張で、よその病院に研修に行く。私は、月曜日のたびに、不調だった。
でも、意識はなかった。無意識に先生を好きだった。会えない日は、しこしこと先生に手紙を書いていた。そういう平和な日が続いたある日、病院から学校へ通うという話になって、私も勇んで学校に行ったのだけど、思うようになく、「学校へ行かないっ」と言い出した。でも、看護婦のさんは、無理やり朝起こし、送り出した。あんまり辛いので、ついついカミソリで手首を切ってしまった。看護婦さんは、「それくらいの傷は、ただの嫌がらせじゃね」と言う。悲しかった。ベランダで泣いていると先生がやってきて、その話をすると「どの看護婦が言うたんや!!」怒り始めた。私はひどいことを言われたけど、こうやって私のために、怒ってくれる先生を、とても心強く感じた。
2回目、また死のうと思ったとき、先生は、私の手首をつかんで、「もし、岡野が不安だったら、僕が一生、外来で診てあげる。だからもう、こんなことせんで!!」と言ってくれた。でも、その内、バチが当たってしまったのだ。あんなに真剣に私の病気をよくしてくれようと頑張ってくれる先生に対し、私はいつも不真面目で、前向きじゃなくその場限りの話ばかり・・・。
私が先生の想いが募りすぎて、、意識的にも「森山先生がすきっ」という感情が湧いてきた。なかなか眠れないので、キツイ睡眠薬を飲んで寝る、キツイ睡眠薬は、よく眠れるけど、次の日すごく興奮する。(私はキツイ睡眠薬を飲むと、今でも翌日興奮する)
そんな日が続いたとき、ちょうど連休があり、先生は2日病院に来なかった。私は余計に興奮し、そして寂しく・・・。病棟から出て、ビールを2本飲んだ。今なら、全然大丈夫な量だけど、当時はお酒もそんなに飲んだことない。そしていいお酒でもなかった。病棟に帰って、当直の先生にでも話を聞いてもらおうとしたけど、全然相手にしてくれない。あんまり腹が立つので、その先生を平手打ちでひっぱたいた。その先生も若い先生だったので、カーッとなり、私を殴った。大騒ぎになった。そして、まさかのその病棟に保護室なんてないと思ったら、普段、普通の病棟として使っている部屋で保護室にもなる部屋があり、そこに2泊3日閉じ込められてしまった。
その事をきっかけに、森山先生は私の担当をはずれた。私も先生が好きという感情を看護婦さんに話したしね。もう、病棟で顔を合わせても口もきいてもらえない、目も合わすこともない、病棟で、先生と楽しく過ごした日を懐古していた。お正月が来て、家の事情で、その総合病院から近所の精神病院に変わり、先生と顔を合わすこともなくなった。
それから何年も森山先生の消息を探した。一つには、私の事で自信をなくし、医者を辞めたんじゃないかって心配もした。だって、まだ研修医だったんだから。
私が結婚して、先生の消息が分かった。一泊研が病院にカンパを募った時、その森山先生が郵便振替にてカンパをしてくれた。懐かしい字だった。広島市の郊外で今でも精神科医をしている。手紙を送ったら返事の中に「あなたの容姿、姿を鮮明に覚えています」と書かれてあった。ちょっぴり恋をした甲斐があったようなくすぐったい想いで、それを読んだ。
ちんとん・最終回 END
次号は新企画で登場!!いつもの辛口よ。容赦はしなくてよーー。