幕府陸軍の軍装は大きく分けて文久、元治、慶応と3度変化しました。

士官は御目見以上の者、諸藩から業前として招聘された有識者が任命されており、

文久2年創設当初、正面に金輪の入った陣笠、韮山笠を被り、

筒袖段袋、三斎羽織を着用していました。

慶応2年に入り識別章が入った陣笠が制定され、筒袖とズボンの着用が定められることになります。

 

 

背中に入った家紋と羽織の形状、ラインの入ったズボンを着用していることが確認できます。

羽織は三斎羽織り、マンテル羽織、レキション羽織があり任意のものを着用していました。

刀は剣吊りで吊っているかベルトにさしています。また、羽織の下に着たベストは濃紺や緋色で革靴を履いています。

 

 

 

フランス式伝習を受けた者を中心にケピ帽やシングルブレストのフロックコートが士官の軍装として統一されていきます。

 

調練中の絵には短マンテルに饅頭笠を被った士官が描かれています。

 

騎兵や遊撃隊にはフランス式軍服が導入される前の1864年イギリス式伝習時に入っていたものかダブルブレストのフロックコートに海軍タイプのケピ帽を被った姿があります。

 

軍装として着用することがあったかは分かりませんが民間用のフロックコートやサックコートを着ている幕臣の姿は比較的多く残されており、私服としての洋装が広まりつつあったのかもしれません。