出版の仕事そして小池一夫先生 | SCD介助生活

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脊髄小脳変性症の妻と二人で生活しています。
「SCD患者家族の生活」続編として
日常の出来事を忘れないように綴る忘備録です。

高齢者施設での仕事が3年目になり、

さすがにもう出版物制作の仕事に戻りたいと思うことはなくなった。

すでに戻れないほど遠い過去のことのようだ。

 

早くからホイホイとスマホに切り替える編集者たちを尻目に、

最後までガラケーから切り替えずに紙媒体にこだわってきた私も、

紙の書籍を買ったのは昨年一年間でたったの一冊だけで、

amazon kindle unlimitedで電子書籍を読むことが多くなってきた。

今年からは楽天マガジンで電子書籍の雑誌を読むようになり、

デザイナーとして最後に関わった雑誌の最新号を読んで懐かしさを覚えた。

「懐かしい」ということは裏を返せば進歩していないということだ。

未だに内容もデザインも私がやっていた頃から変わっていない。

奥付を見ると全盛期で20人くらい居た編集スタッフが今では3人。

この人数で毎月やれることは限られる。

毎月なんとかこなすのに精一杯で、新しいものを産み出すことはままならないと思う。

本や雑誌という紙媒体がもう世の中に必要とされなくなってきたのだ。

 

 

 

 

小池一夫先生と一度だけお仕事させて頂いたのは、

私がまだまだエディトリアルデザイナーとして経験の浅い27歳くらいの頃だった。

 

先生は作家としての「小池一夫」ではなくスタジオシップの社長、あるいはディレクターとして

私の所属する制作会社に仕事を依頼された。

2冊の書籍の装丁で、まあはっきり言って小池先生としても、

それほど力を入れるものではなかったのかもしれない。

しかし私にとっては他の仕事と同様であり全力で取り組んだ。

スタジオ使用料、スタイリストとカメラマンのギャラ、感材費(当時はデジカメではなかったので)、

といった制作費がまるまる赤字になるにもかかわらず、

会社のスタジオを使用して撮り下ろしの写真を表紙にしてある程度のクオリティのものを創りあげた。

ラフスケッチの段階から小池先生と電話のやりとりをしていたが、

とうとう最後まであまり喜んでもらえたような感想を頂いた記憶がない。

 

私はどちらかというと写真集や雑誌などが得意分野で、

書籍の装丁は不得手で今思えばたぶん才能がなかったのだと思うが、

それにしても他の仕事では良い評価を得たり感謝されることに慣れていたので、

小池先生のあっさりした対応に少し落胆した。

 

やがて会社から独立した頃、自分の事務所に向かう通勤電車の中で読む週刊誌でも、

小池先生の作品はなんとなく飛ばして読んでいた。

当時の私は若すぎて小池先生の作品の良さが分からなかったのだ。

昨年の秋頃から年末にかけてamazonで無料になっていたのをきっかけに、

小池先生の作品を立て続けに読んだ。

「半蔵の門」「子連れ狼」「弐十手物語」と慾るように読んだ。

どれも素晴らしく、なんて凄い人だったんだと改めて気づいた。

特に「子連れ狼」のラストは凄まじい。

小池先生とよく比較される梶原一騎の作品「あしたのジョー」のラストシーンが取り上げられるが、

「子連れ狼」はもっと評価されてしかるべきかと思う。

最近では小池先生のツイートになるほどと感心させられることも多かった。

とにかく作品数が多く、どれも素晴らしい。出版界では並ぶもののない巨人だった。

 

偉大な人とわずかでも仕事ができたことは貴重な経験だったと思う。

改めてご冥福をお祈りします。