電子書籍を購入して読む場合、今まではスマートフォンにKindleアプリをインストールして読んでいました。ただし、持ち運びには便利なものの、画面が小さく読みづらいのが難点でした。タブレットで読めば、老眼の進んだ私でもよく読めますが、持ち運ぶにはカバンが必要です。


そのような時、アマゾンがパソコン用のKindleソフトを提供し始めました。しばらく前からその事実は知っていましたが、スマートフォンで大量の本を持ち運べる点が電子書籍の良さだと思っていたため、ソフトはインストールしたけれども、使用していなかったのです。


ところが、友人からパソコン用Kindleソフトの使い方にたずねられたので、自分で使ってみることにしました。すると、パソコンの画面全体に電子書籍が映し出されるではありませんか。紙の書籍よりもはるかに文字が大きく、はっきりと読めます。これは素晴らしい、と感動しました。


しかも、パソコンで電子書籍を読む際には、わからない用語があったとしても、インターネットですぐに調べられます。電子書籍にWebサイトのリンクが張られていても、別の画面でリンク先を表示できるので、電子書籍を開いたままにしておけます。


今までは電子書籍に縁がなかった方々には、パソコン用Kindleソフトの使用はお勧めです。アマゾンのサイトから無料で簡単にダウンロードできます。


マズロー研究会 会長

渡辺博文

同じ独裁者と言っても、昔と現在では異なります。現在の独裁者は、巧妙かつ洗練された方法で自らの独裁体制を維持しているのです。


たとえば、ロシアを例に考えてみましょう。現在のプーチンにしろ、昔のソビエト連邦にしろ、国内の反対勢力に対して敵対的な態度を取ることに変わりはありません。


その際、ソ連の時代には、犯罪をねつ造して逮捕し、反対勢力の人々を国内に監禁していました。国外には決して出国できないようにしていたのです。


ところが、プーチンの方法はソ連とまるで違っています。反対勢力の人々に対しては、積極的にビザを発行し、国外へ出国できるようにしました。場合によっては、国外への亡命を手助けするようなことさえしたそうです。


そうすることによって、プーチンは独裁者の地位を守りながら、民主主義的な仮面をかぶることができます。一方、反対勢力を退治できる点に関しては、プーチンもソ連も一緒です。


このような独裁者の進化が世界中で広がっています。独裁政権という意味では同様ですから、民主主義的な色彩を帯びていたとしても、本質を見抜くことが必要でしょう。


マズロー研究会 会長

渡辺博文

現代の日本人は、何かしらエネルギーが欠けているように思えます。特に若い世代には顕著に表れています。どうしてそのような状態に陥ってしまったのでしょうか。


もちろん、その中には起業に燃える人々もいますが、全体的には羊の如く、おとなしい印象を受けます。平成バブル時代に流行った「24時間働く!」という言葉は、すっかり過去のものとなってしまいました。


バブル崩壊後の社会を「失われた20年」と呼ぶ評論家たちもいます。すなわち、意味のない時代だった、ということです。


けれども、違った視点から考えると「失われた20年」は、むしろ日本社会が精神的に成長するうえで欠かせなかった時代だと捉えることもできます。すなわち、以前の日本で当たり前だった価値観が変化していく際に必要な過渡期だったのです。


現代の日本社会は、マズローの欲求階層説にあてはめてみると、「承認の欲求」の段階に成長した、とみなせます。平成バブル時代よりも、欲求の階層が上がり、人々の求める欲求が高い次元へと変化したのです。


だからこそ、社会の在り方としては、「承認の欲求」を満たせる構造に変わっていかなければなりません。若い人々にフリーターやニートが増えている理由は、それでも暮らしていけるほど豊かな社会である、という証拠です。逆に、フリーターやニートで留まっているのは、「承認の欲求」が満たされていないからでしょう。


若者に留まらず、社会の第一線で働くビジネスパーソンも「承認の欲求」を満たすことを求めています。つまり、日本社会の根底が変わり、成長する鍵となるのは「承認の欲求」なのです。政治やビジネスだけではなく、教育の現場でも、家庭においても、その欲求を満たすことによって、より良い社会が築かれていくのは間違いありません。


マズロー研究会 会長

渡辺博文



自分が働きたいと感じる会社と株式投資をして儲かる会社は異なります。なぜなら、利益を大きく出して株価が上がるような会社は、たいていの場合、社員をトコトンこき使う傾向があるからです。


たとえば、アップル社の故スティーブ・ジョブスは、部下の仕事が自分の気に障ると、その瞬間に部下を首にしました。いつでも社員はびくびくしていなければならず、殺伐とした社風です。


ところが、そのおかげでiPhoneのような素晴らしい製品が生まれ、利益も急上昇をしていきました。結果として、アップル社の株式に投資する人々が爆発的に増え、アップル社の時価総額は米国トップとなったのです。


日本においても、ブラック企業と呼ばれる会社は、社員を猛烈に働かせるため、利益は増加傾向にあります。したがって、世間では企業としての在り方を批判されていても、株価は上昇する場合が少なくありません。


一方、立派な人格者が経営者だったら、能力がない社員に対しても脅しをかけるようなことはしないため、生産性は向上せず、利益も増えません。したがって、株価も上がらず、良い投資対象にはなりえないのです。何と言う皮肉な話でしょう。


マズロー研究会 会長

渡辺博文

業績がよいほど収入が高くなる会社があります。たとえば、生保の営業や証券会社のディーラーなどが良い例でしょう。実際、個人の高い業績に比例して高い給料をもらえるわけです。


確かに利益をもたらしたのだから、その分、自分もその分け前をもらうのは当然です。しかし、仕事を進めていくうえでのモチベーションとして、歩合給には大きな問題があります。


第一には、仕事が目的ではなく、お金を得る手段と化してしまうことです。本来ならば、働く人々の立場に立ってみると、面白い仕事だから、とか、社会的に意義ある仕事だから、という理屈はモチベーションとして才能を発揮するには重要な大義名分となります。しかし、歩合給のもとではその大義名分は吹き飛ばされてしまい、成功すれば収入が高くなるから、という極めて安直な原理が働く理由になりかねません。


第二には、歩合給である場合には、絶えず以前の業績よりも高い数字を達成し続けなければ、収入が減ってしまう可能性があります。すなわち、いつでもムチを打たれている馬車馬のように働かなければなりません。高い収入にはなるけれども、自分が働いている仕事に対する意義を見出せなくなるのです。


第三には、働いている会社に愛着心が持てません。歩合率の良い会社があれば、優秀な歩合給社員は簡単に転職してしまいます。つまり、所属と愛の欲求が全く満たされないのです。


最後に、歩合給制のもとで必死に働いている社員は、マズローの欲求階層説で考えた場合、本来は収入が高いこと自体を求めているのではなく、ほかの基本的欲求を満たすために頑張っていることも考えられます。建前上はぜいたくな生活がしたいから、などと言っているにもかかわらず、本音ではお金を稼ぐことによって、他の人から認められたいという承認欲求を満たそうとしてのかもしれません。


したがって、歩合制や能力給をあまりにも重視している会社は、社風がすさんでしまいます。会社をうまく経営していきたいと思っているのならば、お金に直結するモチベーションを与えるのではなく、ほかのモチベーション方法を考えなければ、長期にわたって繁栄していく会社にはならないでしょう。


マズロー研究会 会長

渡辺博文