週刊今川氏真詠草&おんな城主直虎の不都合な真実 Vol.10 1月12日号
(2020/01/05-01/12)

 

今週はお田鶴様や那古野今川氏アカウントの御光臨でうれしい一週間でした。今宵も『#おんな城主直虎』第八話のお話、をば。


赤ちゃんができない直親正室しのと直親のやり取り。嫡子を産まねばという当時の女性へのプレッシャーは想像されますね。これも女性脚本家森下佳子さんならでだと思いました。
瀬名からの手紙での一人で囲碁をうつ松平元康も面白い。囲碁が重要アイテムと聞いた時は「あーん?」と思いましたが(^^;)


直親に側室を持つよう勧めるつもりだと次郎法師に語る、直盛正室=直虎母=直盛正室千賀。これも女性脚本家でないと難しい視点と思います。「産む性」女性ならではの苦悩と視点です。
今川家の尾張侵攻。最新研究をふまえて上洛ではなく尾張制圧が当面の目標とされていますね。


桶狭間の戦いの尾張制圧説。時代考証の小和田哲男教授の見解をしっかり踏まえていると思います。ただ、今川義元は京都への思い入れが強い人だったと思われ、桶狭間で勝利して信長を降していたら、幕府再建のため、上洛を模索したかもしれません。
今宵はここまでにいたしとうございます。


ここからはツイート再掲です。

期待してます!(^^)


御意(^^)
共に今川復権のために頑張りましょう!
#今川復権

 


今日も氏真さんの一首を再掲。


 無常
世中のかり残したる草の上にいつまで露を玉とみるらん(6―239)

 

天正十三年(1585)秋か冬。改めてみると、滅亡を免れたが敗残の余生や血統に固執する自分を自嘲したように思われる。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ

 

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今日も氏真さんの一首を。

 

 帰路には筋をかへて来る心す
はかなくも誰か恋塚の跡とめて昔忘ぬ名に迷ふらん(1‐147)

 

天正三年(1575)二月中旬石清水参詣の帰途、道に迷ったか?(続
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


恋塚寺は、北面の武士の妻であったが横恋慕されて非業の死を遂げた袈裟御前の恋塚がある。袈裟御前は横恋慕した夫の同僚に殺されることで夫と操を守り、それを知った夫の同僚は深く嘆き出家した。後の文覚上人である。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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『#修羅の都』超おすすめです。
昨年五月の今川シンポジウムで、『#おんな城主直虎』脚本の森下さんが家康の人物像は #伊東潤 さんの『峠越え』に影響されたと言ってました。
三谷さんも『#鎌倉殿の十三人』ではこの作品を意識せざるを得ないでしょう。


御意(^^)

 


子年の初子の日、小松を引く今日も氏真さんの一首を。

 

 亀山松の有所をさしてをしゆ
契る也亀のを山にまたこんといはねの松も行方忘るな(1―88)

 

天正三年(1575)二月初め?岩根の松など亀山周辺の旧跡を訪ね歩いた。
#今川氏真
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#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ

 

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今日も氏真さんの一首を。

 

旧巣鶯
うきふしをなとしたふらむ呉竹のふるすはなれぬ鶯のこゑ(2―3)

 

天正五年(1577)春?武田方の今川旧臣との相克を避け駿河を諦め牧野城を出た氏真には「古巣」にこだわる鶯が気になったようだ。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


誤字訂正しました。

 

 

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今日も氏真さんの一首を。


 麓より岡を行て女塚男塚車塚なとゝ云
 しるし有高みにしはし有て所の人に尋
うつりくるむかしはよしや男山さかゆく末を憑む也けり(1―140)

 

天正三年(1575)二月中旬石清水八幡宮参詣後は、歌枕を巡り歩いた。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ

 

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今日も氏真さんの一首を。

 

 雪中に
問はれてし人の通ひ路かきたえて身のほとしるき雪のうち哉(6―236)

 

天正十二年(1584)冬。零落と孤立を嘆いたが、北条氏直と督姫の縁組で家康の遠縁になった氏真に接近するのは勇気が要るだろう(続
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


この年小牧長久手の戦いが起き、休戦したが、家康と秀吉の間には緊張が続いていた。京都にいたはずの氏真に接近するものは秀吉方からにらまれただろう。二年後、氏真は不本意な伊勢国神戸仮寓に至る。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


これは藤木久志氏の「食うための戦争」論ベースですね。

 

 

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今日は源氏の氏神石清水八幡宮を参詣した氏真さんの三首を。

 

 此山には鷺鴈鵜巣をかけて梢せき計也 
 麓の河家〱木の間に出
うこきなき宮ゐもしるし男山鳥驚かぬ木々の梢に(1―137)

 

天正三年(1575)二月中旬(続
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幾世へて生るを放つ河水や数そふ魚の底見えぬ迄(1―138)
めくり行水の遠近をのつから出入民の軒そ並へる(1‐139)

男山の鳥、放生川の魚、その岸辺の民家に氏真は神の恵みを感じたようだ。興味深い(続
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


武神八幡宮に武運を祈るよりも、魚鳥衆生への恵みを感じる所が氏真らしい温良と繊細さ。氏真は『甲陽軍鑑』で「心は剛にまします」と評されており、暗愚でも惰弱でもないが、同胞相討つ事に耐えられず、牧野城を去る。
#今川氏真
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(2020/01/05-01/12)