騙されやすい人で一番多いのは、無知な人ではなくて中途半端に知識がある人らしい。

無知な人というのは意外と人を疑いやすかったりする。
いくら正論で理詰めにしようとしても、そもそも自分にとって都合のよくない情報は耳に入らせないという特技を持っていたりする。
しかも知識がない分直感だけで物事を決めようとするので、意外に嘘と本当を見分けやすい。

面倒なのは中途半端に物事を知っていたり、小利口だと自分で思っている人の方だ。
往々にしてそういう人が持っている知識というのは実践や経験で得たものというよりは、偏った本を読み重ねたものだったり、人づての噂が出所だったり、先入観で判断した乏しい見解だったりする。

反対に言えば、人を騙すのがうまい人というのはこの偏った知識と大きなプライドのある人を瞬時に見分けることができる人と言える。
そういう人には必ずひずみともいえる突かれた瞬間一撃でやられる部分がある。
「自分は絶対に騙されない」と思い込んでいる人の方が騙されるというのはここがポイントなんだろう。

中途半端に物事を知っていることは、全く知らないよりも危険だと思う。
悟るほど、全てを身に染みて知っている-----例えば、人に殴られるとどこがどうなるかを本や人の話だけで知るのではなくて、実際に殴られたことがある-----ほどになるまでは、自分は「騙されやすい、弱い部分のある人間なのだ」と常に自覚していないと、いつか誰かに騙されてしまうんじゃいかと。

そんなふうに考えてる。
まんべくんの中の人が日本の戦争責任について書いたらアカウント取り上げられたとか言うニュースについて。

私はまんべくんのフォローはしていなかったのだけれども、ネットに残っているログを見ると相当の毒舌キャラとして人気があったらしいですね。
Twitterでも誰かが書いていたけれども、一度毒舌キャラとして人気が出てしまうと周囲からのもっともっとの期待に応えようとして、言ってはいけない一言を言ってしまうことがよくあるようです。

私の記憶している限りでもこの手のトラブル起こした事例はたくさんあって、してみると問題発言をした本人はもちろんだけれども、そのほかにもそれをフォローしたりあおったりした周囲もそれなりに責任を感じるべきところなんじゃないかというような気もしてきます。

むかーしの映画でジョディフォスターが出てた「告発の行方」なんてありましたが、無責任なモブも何か事件が起きたときその責任の一端を担っているという意識を持つ(持たせる)ことも必要な気がします。

話は少し飛躍しますがこれは商業・同人のエロ漫画なんかにも言えることで、いわゆるアンモラルな漫画というのは最初から度を過ぎてアンモラルだったわけではなくて、最初の一歩を誰かが外して有名になったことでどんどんエスカレートしていってしまった感がないでもないです。

私の好きな話で、フロイトだの心理学が学問として認められ始めたときの「エロ」の定義は、女性が歩いているとき、ロングスカートのすそから足首が見えただけで「淫ら」扱いされてたというものだったというものがあります。

刺激というのは物理的な部分が少ないほど、千差万別な想像力をかきたてることができるわけで、もしかしたら今の創作がつまらなくなってきている原因はそのつつましやかなチラリズムがなくなってしまったからのような気がします。

いろいろ言われていました、カオスラウンジの話もほんの数週間で収束に向かっている感があります。

結局のところ二次コラが芸術として尊重されるべきものなのかどうかという内容については決着も何もないまま、曖昧に普段の生活が戻ってきた様子です。

変わったことといえば同じくイラスト投稿サイトのtinamiとPIXAが登録人数を増やしたくらいで、だからといって劇的にpixivのユーザーが減るかというとそうでもなさそうです。


どうしてよくこういうことを見かけるのかわかりませんが、インターネット上で「大手」と言われるアクセス数のサイトの管理人であっても、あまり運営指針をきちんともっていなかったり、管理人権限でどうにかするべきところで日和見をするなど、無責任な態度をしていて最後に謝るパターンが多い気がします。


実際に人がその場に集まるような場合であっても似たようなことはあるわけなので(人気クラブやカラオケ店など)一概にネットだから悪いと決め付けることもよくはないでしょうが、しかし結果だけを見るとどうして?と思う残念さがあります。


考えてみればサイトコンテンツをおもしろくしたり、より人が集まりやすい工夫をするということと、法律やマナー・モラルに関してきちんとした概念を持っていることというのは全く次元の違うことのように思います。

失敗するパターンとして共通しているのはほとんどの場合「なあなあにしておけば現状は続いていくはずだから余計なことはしないでおこう」と問題の先送りをし続けた結果のように思います。


だいたい言い訳方法としてやっているのが「ユーザーたちの自主性を尊重しています」とか「ネットは善も悪も混沌とした場所なのだからこれでいい」と自分で行動を起こさないことをまるで信念を持ってやっているかのような言い方です。


人が集まったというだけで、その場の管理人には社会的責任が発生するというのは現実でもネットでも同じです。

今後の若い世代が管理人をするようになってきて、さらに無責任になるかそれともきちんとした対応ができるようになるか、そのあたりは注目してみたいところです。