相模野ナミ 父母の介護の記録2017年冬〜現在まで。記憶の記録。

相模野ナミ 父母の介護の記録2017年冬〜現在まで。記憶の記録。

宮城県在住だった両親の介護の記録です。
想像を超える事が多かったので、忘れないうちに記録しておこうと思いました。

神奈川県在住の56歳の主婦です。ドラックストアで登録販売者として16年勤務しています。
夫56歳、娘25歳、息子23歳、の4人家族です。

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じつは私が体調を崩してしまいました。入院しています。申し訳ございません、、

しばらくお休みいたします。

すいません。

2018年9月。

父を私の住む神奈川県の病院に連れてきたので、もう宮城県の実家に住む者は誰もいなくなったという事。

姉も私も東京と神奈川に家庭を持っているし、実家に戻ることはない。


それから、父の病院代は年金で何とかなりそうでしたが、今後の引っ越し代、退院後に入居するであろう施設代、亡くなった母のお墓の用意など、父の年金だけでは不足してくるだろうと思われることばかりでした。と言って、娘の私にもそれらを担う余裕は無いし。

生命保険を続けていれば入院費なども少しは軽くなって余裕も出たのでしょうが、父は、解約金を旅行や必要のない家の修繕など使い込んだ費用の支払いに充てるために、生命保険を全てやめてしまっていました。なんと貯金も全部使い果たしてしまっていました。認知症であるが故です。


父の様子がおかしいとわかった2017年に、このことが発覚した時は(その頃のことはこの記録ブログの最初の方に書きましたが)、愕然としたけれど。


宮城県の実家を残して置いても、定期的にお手入れしなければいけません。それには時間とお金がかかります。

実際、誰も住まなくなった2017年5月から2018年9月現在までにも、お隣の方からのご指摘で、虫が増えるので定期的な庭の草取りや、スズメ蜂の巣ができたりしてその除去など、費用がかかっていました。

それに長いこと空き家があるということは、防犯上も良くないですし、ご近所の方にとってみればあまり気持ち良いことではありませんものね。


という事で、

「実家は売却する」と、決心しました。

父が宮城県の病院に入院して、母が亡くなった2018年1月以降からその考えはあり、さまざまな大変な事を済ませてきて、

私の気持ちに決心がつきました。

姉は、もう、連絡がつかなくなっていて、

この事を相談しても返信は無く、

父の事を報告しても返信は無く、

関わりたくはないようでした。


たった2人だけの姉妹なのに、実の親のことに関わらなくてもいいのか?と疑問に思ったりもしましたが、

私1人でも何とかなると思いましたし、

これだけ連絡しても返信をくれない姉と協力してやっていく方が、大変そうに思いました。


実家を売却する事に関しては、

実の娘であろうと私の意向だけでは動けず、

父に法定後見制度による手続きが必要とのことでした。

私には、幸せなことに、親しい友人に司法書士の方がいて、色々相談できてとても助かりました。

でも、友人ではなくても、こういう時は最寄りの司法書士事務所に相談して頼れるとのことで、有難いですね。


父の病状を見に司法書士さんが来て、父は、意思能力が全く無いわけではないが、著しく不十分、ということで、「保佐人」がつくことになりました。

そして、「保佐人」は私がなる事もできたのですが、この時は、連絡のつかない姉の事もあり、財産の事で何かあっても面倒くさいし、その友人の司法書士さんにお願いすることにしました

これにも費用がかかりますが、宮城県の家の売却の手続きなど私にはとても困難ですので、お願いすることにしました。


そうして、家の売却の話は順調にすすみ、

2019年の2月には、無事売却に至りました。

思い入れのある実家には、壊されるまでに何度か通い、別れを惜しみました。


入院している父に「実家を売るからね」、と伝えると「そうか、それは任せる」と言うだけで、

深い話しにもならず、寂しさを感じている様子もありませんでした。認知症だからでしょうか。

でも、色々お願いをされました。

次回はその話しを書こうと思います。

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解体されていく実家。

この実家に何度も遊びに来てくれていた親しい父の教え子の方が撮って送ってくれました。





父を車に乗せて、宮城県の病院から神奈川県の私の住む市内にある、認知症専門の精神病院へ無事到着しました。

2018年9月18日。

朝10時半ころ出発して午後4時頃到着しました。

病院では、担当の看護師さんとお医者様が待機して下さっていて、すぐに診察室で軽く診察して、父と旦那さんと私の3人とお医者様と看護師さんの5人で雑談のような時間。父の緊張を解いてくださるためだと思います。

検査などは今後少しずつして下さるそうでした。

父がリラックスできるように、お医者様も看護師さんも、とても親しみやすく話してくれて、さすが認知症専門の病院という感じでした。


父は、「なんだべ。うちさ帰るんでは無いのか。まだ入院がや??」

とぼやいていましたが、お医者様と看護師さんが楽しかったので、笑顔だったのでホッとしました。


そのあと病室に案内されて、3人部屋でした。でも入院してるのは1人で、一つのベッドは空いていました。大きな窓から豊かな自然のある風景が見渡せる気持ちの良い部屋でした。でも、病棟はやはり、アンモニア臭が強くしていました。各部屋にドア無しのお手洗いがあるのだから、仕方ないですよね。


父は疲れてしまったようで、横になりました。

宮城県での入院生活約1年で、病院の雰囲気には慣れているようで、もうリラックスしていました。そして、宮城県の病院のことは、もうすっかり忘れていました。昨日まで入院していたのに…😅

それが認知症ですね。

この日から約1年、この病院にお世話になりました。クチコミなどはあまり良くない病院でしたが、看護師さんはとても認知症患者さんのお世話が上手だし、優しいし、ただ1点病棟のアンモニアの匂い以外は、良い病院だと思いました。クチコミを一概に信じるのは良くないと思いました。


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宮城県仙台西公園にあるゴールデンスランバーのマンホール。もうすぐ実家を取り壊すと決まって、幼い頃の思い出が沢山あるので最後に行きたい、と、息子が言い、一緒に宮城県に行った時、伊坂幸太郎ファンの息子が撮影してきました。