昭和55年、私は結婚しました。
結婚してからは、私の職場が札幌市だったこともあり、市内の職場近くのアパートで暮らしていました。
ところが、住み始めて1年ほど経つと妻は「地下鉄の駅が近い場所に引っ越したい」と言いました。
私は引っ越しなんて面倒ですので反対していたのですが、結局妻の言うとおり駅の近くにあるアパートに引っ越しました。
しかし、1年経つとまた妻は「もっと静かな通りに住みたい」、「今のアパートは古いので、もっときれいなアパートに住みたい」等言い始め、また引っ越すことになってしまいました。
結局どこに住んでも妻は「別の場所へ引っ越したい」と繰り返し、結婚してからの8年間で4回も引っ越しました。
4回目の引っ越しで私達は、立地も良く、うるさい通りからも離れ、きれいなアパートを見つけて住み始めました。
もう文句は言わないだろうと思っていたのですが、1年程経ったある日、妻は「子供が2人になったので、そろそろ家を買いたい」と言い出したのです。
当時私は30万円くらい給料をもらっていましたが、市内の家は高くてとても手が出ないと妻に言いました。
すると妻が「安くていい家を見つけた」と言うので、どんな家かと聞くと、その家は郊外にあり、私の職場から車で1時間もかかるほど離れていたのです。
私は反対しました。
私たちは何日も、家のことを話合いました。
しかし結局私が折れ、妻の言うとおり、20年のローンを組み家を買うことになりました。
不満なところもありましたが、私は内心、家を買えばもう引っ越しは無いだろうと安心しました。
私の給料13万円と長男が入れてくれる4万円では、生活費だけでもギリギリでした。
それなのに、毎月8万円の借金の返済なんかできるはずがありません。
借金の返済が遅れると、貸金業者からの電話で電話の着信履歴がいっぱいになり、私は精神的に追い詰められていきました。
そして、一生懸命なんとか返そうと思うあまり、他の消費者金融から借りては返すという自転車操業状態に陥っていました。
大手クレジットカードのキャッシングから始まり、コンビニで作ったカード、ガソリンスタンドのカード、背広屋の名前のカード、そして犬のCMを流していた貸金業者、全部で5社からの借り入れと返済をやりくりました。
光熱費も払えない時がよくありました。電気と水道とガスはどうしても止められたら困るので、そのなかでも優先度の低い電話料金は滞納し、何回か止めらました。
家の食糧は米と、兄弟や知人が送ってくれた漬物だけという状態でした。
私は毎日、毎月の支払のことしか考えられませんでした。
自分の兄弟達や、亡くなった妻の親兄弟、貸してくれそうな何人かに頼み金を貸してもらいました。
この時借りた金は、返さなくていいと言われたので今も返していません。とてもありがたい事です。その人達には今でも本当に感謝しています。
それでも、どうしても首がまわらなかった時、隣町に住んでいた長女に連絡して、長女の職場の近くのコンビニまで行き、金を受け取った事もありました。
そして、このことから長女に借金を知られてしまい、弁護士の無料相談会に行けと言われました。
その時ちょうど近くで弁護士の無料相談があったので、思い切って行きました。
私はこの時ほとんど一文無しだったので、弁護士費用がとても心配でした。
相談は無料でも、あとで何十万かかるのだろうかと気が気ではありませんでした。
しかし弁護士さんはとても良心的で、5社全部で12万で引き受けてくれました。私が金がないので今すべて払うのは無理だと言うと、毎月5000円の分割でいいと言ってくれました。
私にはローン返済中の家があるので、破産はしたくないと弁護士さんに言い、任意整理というものをすることになりました。
その結果、借金は残りましたが、毎月の返済額が半分の4万円になりました。
後日、住宅ローンについて市役所に相談に行き、月9万円のところを4万円にしてもらいました。
これでなんとか毎月乗り越えられるようになったので安心しました。
この時私は57歳でした。
年金をもらえるようになるまであと3年、贅沢はできませんが何とか乗り切る事ができました。
それなのに、毎月8万円の借金の返済なんかできるはずがありません。
借金の返済が遅れると、貸金業者からの電話で電話の着信履歴がいっぱいになり、私は精神的に追い詰められていきました。
そして、一生懸命なんとか返そうと思うあまり、他の消費者金融から借りては返すという自転車操業状態に陥っていました。
大手クレジットカードのキャッシングから始まり、コンビニで作ったカード、ガソリンスタンドのカード、背広屋の名前のカード、そして犬のCMを流していた貸金業者、全部で5社からの借り入れと返済をやりくりました。
光熱費も払えない時がよくありました。電気と水道とガスはどうしても止められたら困るので、そのなかでも優先度の低い電話料金は滞納し、何回か止めらました。
家の食糧は米と、兄弟や知人が送ってくれた漬物だけという状態でした。
私は毎日、毎月の支払のことしか考えられませんでした。
自分の兄弟達や、亡くなった妻の親兄弟、貸してくれそうな何人かに頼み金を貸してもらいました。
この時借りた金は、返さなくていいと言われたので今も返していません。とてもありがたい事です。その人達には今でも本当に感謝しています。
それでも、どうしても首がまわらなかった時、隣町に住んでいた長女に連絡して、長女の職場の近くのコンビニまで行き、金を受け取った事もありました。
そして、このことから長女に借金を知られてしまい、弁護士の無料相談会に行けと言われました。
その時ちょうど近くで弁護士の無料相談があったので、思い切って行きました。
私はこの時ほとんど一文無しだったので、弁護士費用がとても心配でした。
相談は無料でも、あとで何十万かかるのだろうかと気が気ではありませんでした。
しかし弁護士さんはとても良心的で、5社全部で12万で引き受けてくれました。私が金がないので今すべて払うのは無理だと言うと、毎月5000円の分割でいいと言ってくれました。
私にはローン返済中の家があるので、破産はしたくないと弁護士さんに言い、任意整理というものをすることになりました。
その結果、借金は残りましたが、毎月の返済額が半分の4万円になりました。
後日、住宅ローンについて市役所に相談に行き、月9万円のところを4万円にしてもらいました。
これでなんとか毎月乗り越えられるようになったので安心しました。
この時私は57歳でした。
年金をもらえるようになるまであと3年、贅沢はできませんが何とか乗り切る事ができました。
退院してから私は営業の仕事を見つけ働き始めました。
なんとか頑張ってノルマを達成していたのですが、精神的に辛くなり1年ほどで辞めてしまいました。
そして次は、コンクリート会社で働きました。
この仕事は時給900円と、他に比べ高かったのですが、激しい肉体労働でとても辛かったです。
ここに勤めてから体重が20キロ以上痩せました。
朝起きても疲れがとれず、本当に辛かったです。この頃は、DHCのコエンザイムQ10というサプリメントを飲むと疲れが軽くなった気がしたので、15日か20日分かで千円以上しましたが、飲み続け毎日を乗り切っていました。
しかし、こんなに働いているのに、生活はちっとも楽になりませんでした。
当時は家のローンが月9万円、カードでキャッシングした借金の返済で8万円を返したりまた借りたり、繰り返していました。
健康保険税や固定資産税等の税金も払えないので、月7000円づつ払うように市役所に頼んできました。借金のことは家族に言っていませんでしたが、生活がとても苦しいから家に少しでも金を入れるように長女には言っていました。
しかし、私の悲痛な叫びは無視され続け、結局長女は家に1銭も入れずある日突然家を出て行きました。
そして、長男は高校に進学したがすぐに登校拒否になり、結局3カ月で退学してしまったのです。
結局、長男の入学金等の費用のための奨学金ローン、約三十万円だけが私に残りました。
私は長男の将来が心配になり、親戚の営む内装屋に長男を雇ってもらうように頼みました。
長男はそこで1年働きました。
なんとか頑張ってノルマを達成していたのですが、精神的に辛くなり1年ほどで辞めてしまいました。
そして次は、コンクリート会社で働きました。
この仕事は時給900円と、他に比べ高かったのですが、激しい肉体労働でとても辛かったです。
ここに勤めてから体重が20キロ以上痩せました。
朝起きても疲れがとれず、本当に辛かったです。この頃は、DHCのコエンザイムQ10というサプリメントを飲むと疲れが軽くなった気がしたので、15日か20日分かで千円以上しましたが、飲み続け毎日を乗り切っていました。
しかし、こんなに働いているのに、生活はちっとも楽になりませんでした。
当時は家のローンが月9万円、カードでキャッシングした借金の返済で8万円を返したりまた借りたり、繰り返していました。
健康保険税や固定資産税等の税金も払えないので、月7000円づつ払うように市役所に頼んできました。借金のことは家族に言っていませんでしたが、生活がとても苦しいから家に少しでも金を入れるように長女には言っていました。
しかし、私の悲痛な叫びは無視され続け、結局長女は家に1銭も入れずある日突然家を出て行きました。
そして、長男は高校に進学したがすぐに登校拒否になり、結局3カ月で退学してしまったのです。
結局、長男の入学金等の費用のための奨学金ローン、約三十万円だけが私に残りました。
私は長男の将来が心配になり、親戚の営む内装屋に長男を雇ってもらうように頼みました。
長男はそこで1年働きました。
