平成29年9月のある日、福岡県福岡市西区の「愛宕山ケーブルカー」の痕跡を探した後
愛宕山の麓から姪浜方面へと歩いてくると
姪浜自動車学校前にて、大通りから分岐する脇道がありまして・・・
(;・`ω・)ナ、ナンダッテ-!!(・ω´・(・ω´・;)
そこには、この脇道が「唐津街道」である旨の案内がありました
この唐津街道とは
江戸時代の主な街道の1つで、福岡県北九州市小倉北区から佐賀県唐津市までを結んでおり、旅人や商人が往来した他、福岡藩が長崎警備(2年に1回、佐賀藩と交代)に赴く際や、唐津藩が参勤交代で江戸に赴く際等にも利用されたため、この「姪浜」の地の「姪浜宿」には、福岡藩の茶屋(大名や幕府役人のための宿泊施設、いわゆる「本陣」)が設けられていたそうです
(´・∀・`)ヘー
お天気がよく、時間も10時半を過ぎたぐらいですから
唐津街道をゆっくり歩いてみることとしました
o(▽︎`)o=з=з
歩き始めてすぐに、気になる場所を見つけ
唐津街道から姪浜小学校の敷地に沿って向かうと
小高い丘の様な場所がありました
!?(・_・;?
とりあえず
設けられていた階段をあがると、ちょっとした広場の様な場所となり
そこには社殿と、社殿の裏側にこんもりした丘がありましたが、こちらは
鎌倉時代に作られた「探題塚」という場所でした
案内によりますと、1336年、足利尊氏が九州統制のために置いた九州探題は、1534年の戦いにより敗れ、最後の九州探題だった武士の亡骸がこの地に埋められたそうです
ですので管理人も、社殿でお参りした後
社殿裏側の丘に葬られたのだろうと考え、丘に向かって静かに手を合わせました
なお、探題塚の場所は