乳癌治療が終わり2年たち、ようやく体調も落ち着いた。
乳癌を経験して変わったこと。
以前のように、活発に人とかかわることがなくなった。前職場のお友達とよく県内外の登山に行ったり、それぞれの誕生日会、年1回の旅行に行っていたが、友達自体と会わなくなった。
連絡きても「体調悪いから…」嘘です。
乳癌だったと乳癌時代から、知られたくないと言って、結局は髪が生えてないから。それが全ての原因でした。働くのが好きだった仕事復帰へも消極的で「もうこの年だしね」何かしら理由をつけて、避けてました。それも髪の毛が理由です。
ウィッグもありましたが、やはり自分の髪がなくなるのは、相当なショックでしょう。
買い物や家事をして、家族以外の人と会うことがめっきり減った母。好きな仕事、アウトドアも行かなくなり、興味と言えば、隣の奥さんが別居しただの具合悪く入院したなどご近所ネタばかり(笑)
小さい頃から、鍵っ子だった私が家に常に母がいる…小さい頃は願ってもない夢だったが、大人の今は何か違和感がある。
乳癌をきっかけに抑うつになり、どこか母らしさというものがなくなってしまった。
それでも数年重ね、近くのスポーツセンターの体操教室に、通うようになった。元は運動好きな母。
週一回の体操教室で、知り合いのお友だちに会って話すことをとっても楽しみにしていた。やっぱり人との関わりが好きなんだね、お母さん(*'∀`*)v
その他も1人だけど、朝起きてウォーキングに励んで少しずつ元気を取り戻していた。
すっかり家族以外と出掛けなくなってしまった母と時々母娘の旅行に行ったWハート

今から8年前。平成21年。
母59才。私24才。
社会人2年目となり、やっと家族3人でマイホームに向け、お金を稼ごうというときだったぴかっ☆
春、母の右胸にしこり発見涙↓↓
母は昼間ピッキング、夜はパチンコ屋さんの清掃と昼夜働いていた。
うちは、父親は皆長寿の家系、母親は専ら心臓系統の家系で動脈硬化‥コレステロールで近くの脳外科で薬をもらい、度々MRIをとる以外は健康診断はしていなかった。
きっと良性❗そんな淡い期待を持ちながら行った結果は悪性の乳癌ショボーン結果を聞いたその場で母は泣いていた。ここまで大きくなったのは、数年だけど、乳癌が出来たのは10年前くらいかなとの先生の見解だった。そんなに??健康診断もっと薦めていれば良かったねガーンしかし、時既に遅し…。
抗がん剤で癌を小さくした後、2009年12/24手術で摘出。
その後乳癌の中でも、HAR2蛋白陽性の母はハーセプチンという抗がん剤を使って、残っている癌を攻撃した。手術はあっという間で数日で退院。
抗がん剤が本当に母にとっても家族にとっても地獄だった。
働きながら、乳癌治療をしている人もいると言うが、母は周りに絶対に乳癌と知られたくないと、2つの仕事を止めた。
元々髪の毛の薄い母は抗がん剤後、さらに薄くなり生えなくなった。これが、今後の母の人生に大きく影響を及ぼした。
3週間に一回の抗がん剤は食欲不振、吐き気、嘔吐、倦怠感、等々様々な症状を呈し、ようやく落ち着いたと思ったら、また次回の抗がん剤。
夜間、嘔吐が続き、救急🏥🚑で病院へも行った。
手術後、一年間治療し、倦怠感など体調不良ももう1年ほど続き、抗がん剤の影響は相当なものだった。

母のこと
母は、娘の私が物心ついたときから、働き者だった。そして、内弁慶な父や私に比べ、社交的で友達も多かった。50台になってからは登山にハマり、仕事仲間とよく山登りをしていた。落ち込んでいる人がいれば、山にでも登ろうニコちゃんニコちゃんと連れ出し励ますような人だった。
うちは現在築40年のぼろ家354354マイホームを目標に昼間、夜と働いていた。
私は大の母親っこ。ぼやっとしている私はよくしっかり者の母親に怒られていたが、私は母親が大好き。社会人になっても内弁慶な私が愚痴を言えるのは母親だけでした。嫌な顔をせず沢山聞いてくれました。
そんな母親が変わり始めたのは、今から8年前。