さえのことや仕事のこと、日常のこと、大好きな彼のことなど・・・
時にはから~く、時にはあま~く。。。いろいろ書いていきます。
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ブログネタ:震災から1年経って改めて思うこと
参加中この1年、いろんなことがありすぎた。
多分、人生中でこんなに様々な思いをしたのは初めてじゃないかと思うくらい。
すべてひっくるめてこの1年は私にとってものすごく大きな1年。
でも、それをできる限りしらんぷりして過ごしてきた。
なぜって、自分のココロをどこに持っていったらいいのかわからなかったから。
2011.3.11。
私は街中の仕事場にいた。
地震が起こったときはびっくりしたけど、意外に冷静だった。
ワンセグでTVに映るお台場の映像見て、「なんでお台場から煙出てるわけ?」って、
東京も大変だったなんて全然気にもしてなかった。
彼にも妹にも母親にも電話をかけてみるけど繋がらない。
その間も余震がず~っと続いてて。
そのうち彼から電話が掛かってきた。
お互い大丈夫って確認してすぐ電話を切った。
その後、7時間近く電話が繋がらないなんて思いもしなかったから、
何も決めずに普通に切った。
とにかくうちに帰る。
家に入って、呆然。
人間、ほんとに予想外のことが起こると頭働かなくなるんだね。
うちのなかをウロウロ。
あちこちの棚のものは落ちて散乱。
冷蔵庫も空いてて、電気がついてない。
その間もずっと余震が続いてる。
窓がガタガタ揺れるから怖くて怖くて…。
そのうち日も落ちそう…
電気つかないのに暗くなったらどうなるのかって思った。
今しなきゃいけないことを考えてみた。
とにかく実家に帰ろう。
そのために必要なものを明るいうちにそろえなきゃって思って、
洋服や食べ物とか、とにかく詰めれるだけいろんなものに詰めた。
そして、もしかしてまた地震がきた時に倒れたり開いたりしたら困るものに
毛布をかけたりして、養生テープで止めた。
うちから実家までは空いてるときでも車で30分ほどかかる場所。
彼に実家に帰ろうって伝えるために電話をかける。
繋がらない。
そんなことしてたらもうほとんど日が落ちかけてる。
やっぱり電気は付かない。
振ると発電する懐中電灯と、アロマに使ってたロウソク。
これだけが暗闇の中での私の頼り。
まだ余震が続いてるから、やっぱり窓はガタガタするし、怖くて部屋にはいられなかった。
だから、靴を履いて玄関に。
ブラウンケット敷いたりくるまったりして、なんとか寒さをこらえた。
そのうち彼から電話が来た。
こっちに向かってるけど、高速がストップしてるから何時に帰れるかわからないとのこと。
結局、普段なら2~3時間で帰ってこれる距離を倍以上の時間をかけて帰ってきた計算だった。
時間が経つのが遅い。
ラジオの聞けるMP3プレイヤーと、携帯のワンセグを交互に少しづつ聴いたり見たり。
状況が把握できない…。
これが現実?
実家に変えることを告げるために家族にも連絡してみたけど一向に繋がらない。
そのうち、やっと夜になって、妹から電話がかかってきた。
「おねーちゃん大丈夫??」って。
それまで全然そんなつもりなかったけど、泣くかと思った。
でもなんだか泣いている場合じゃない気がしてこらえた。
どうやら彼は帰り道だからと先に私の実家に寄ったらしい。
もうすぐ来てくれる。
このくらい、いつも待っている時間なのに。
こんなに心細いなんて。
待って待って待ち続けて。
私が待っていた人は来てくれた。
その日にうちのところもも彼のもところも家族はみんな無事だってわかった。
でも。
父の実家は目の前が海だった。
祖父母はもう他界してその家には誰もいなかったけど、そばに叔母の家があった。
他の叔父や叔母も海の近くに住んでた。
連絡はもちろんすぐには取れなくて、電気が使えるようになってから、ネットで探す毎日が始まった。
ほんとに親切な人がいて、
避難所に書かれた名前をUPしたり整理してくれているサイトを毎日毎日、ずっと見てた。
親に連絡が入ったりで確認とれた叔父や叔母、そしていとこ達。
でもどうしても連絡が取れない叔母といとこがいた。
そして3月下旬、仕事中に母親から連絡があった。
叔母といとこが見つかった。
車の中から2人一緒に。
こんなこと言ったらいけないのかもしれないけど、
もうダメなのかなって思いもあった。
でももしかしたらって思いももちろんあった。
事実がわかってからいろんなことが頭をよぎって、おかしくなりそうだった。
だからとにかく早くうちに帰りたかった。
でも仕事しなきゃいけなかった。
やっと仕事が終わって、うちに帰って。
急いで着替えて顔も洗って、すぐ布団に潜り込んだ。
彼が「どうしたの?なんかあったの?」って聞いてくるけど、
彼にすら言葉にできなくて、その事実を伝えられなくて泣き続けた。
彼が心配してるから、早く話をしたかったけどできなかった。
ある程度落ち着いて、話をして。
またわんわん泣いた。
それから少し経ってまた落ち着いて。
少し話をして。
ご飯を食べれる状態じゃなかったけど、
私たちはご飯を食べれる状況なんだからちゃんと食べようって話になって、ご飯食べた。
2011年の3月は
TVで特集をやらなくても絶対に忘れられない。
風化させないように?
そんなことになるわけがない。
そう呼びかけるのは大切かもしれないけど、
そういう人たちが大勢いるところでは悲しい出来事を思い出すだけだから、
できることなら1日中放送するのはやめて欲しい。
実際、3.11が近づくにつれ、話題が出始めたここ2.3週間、精神的におかしくなった。
あの当時と同じように、できる限りその話題には触れない・深く考えないようにして過ごして、
なんとかいつもどおりに戻れそう。
でも、涙は出てくる。
いつまで続くの?
私の涙。
最後書き込みをしたのが9月・・・。
現在12月・・・。
なぁ~んだたったの3ヶ月じゃん・・・
でもプラス1年ね(爆)
あぁ・・・今年1年いろいろありました・・・。
てか、ありすぎました。
今年1年はいろんな意味で忘れられない1年です。
内容はまた次の機会に・・・