このブログ書いたのは2015-03-22 って。
もう2年半もたったけど、まだ同じ病院のまま変わらずにいる。
理由は正直、面倒くさいことと、転職先で妙な人間関係があると厄介だという思い。
ぬるま湯どっぷりの現状から抜け出す駆動力が足りないことが原因だと思う。けっして、事態が好転したわけじゃない。
人間だれしも環境が変わることを嫌う部分があると思う。
それを打ち破るのは、よほど現状から抜け出したいという気持ちが強いか、転職先にとんでもない魅力があるかのどちらかでしかない。私の場合、そのどちらも足らないまま2年半が過ぎてしまった。
大人になると月日の流れが早く、2年半なんて大して状況が変わるものではないが、子供のころを思いだすと、2年半もたてば、中学生は高校生になってるし、高校生は大学生になっている。学生から社会人に脱皮するにも十分な期間だ。
でも、わたしは変わっていない。
北の某国からミサイルが飛んできて、都内が焼け野原にでもならないとわたしの重い腰は上がらないのかもしれない。
ちょっと情けないが自分のモチベーションの低さというか、ポテンシャルの低さには我ながら、しょーも無い奴と思う。
毎日、病院へ行って、疲れて帰って、お風呂と洗濯をすますと少しスマホいじって寝る。この繰り返し。
休日は昼までゴロゴロして、スマホで都合の合った友人と買い物に行く程度。なんの生産性もない。
そもそも買い物に行ったって、お金無いから欲しいもんなんて買えない。買うのは必要最小限の衣類くらいで自分をごまかせればOK。
極論を言ってしまえば、わたしがこの世から消えたところで、誰もなにも困らない。親は泣くだろうけど。
そんな、取り換え自由な社会の歯車。それがわたし。
でも、わたしに限った話じゃない。
外科部長だって、消えてもチーフが繰り上がるだけで、別に病院も患者さんも困らないし、もちろん私たちへの影響も半月もあれば消失してしまう。
それをいれば、病院長も同じだ。
替えはいくらでもいるし、変わったところで誰も困らない。
困るのは家族だけ。
そうか、だからみんな家族のためと言って働くのかな。
わたしも結婚すれば変わるのかもしれない。
結婚して、子供が生まれれば。
その前に相手がいないんだけど。
文字にすると、現実を突きつけられているようで本当に寂しい。
誰かのために働く。
そういうモチベーションが生まれないうちは、また2年後もわたしは同じ独り言をここで書くことになるだろう。
2年後の私へ。
「変わった?」