おサエのブログ 4歳AML(急性骨髄性白血病)骨髄移植

おサエのブログ 4歳AML(急性骨髄性白血病)骨髄移植

三男3才のある日、急性骨髄性白血病が発覚しました。
6ヶ月に及ぶ入院治療。6クールの抗がん剤治療をし退院するも2ヶ月で再発。
初発時には出来なかった身近な方への状況説明の為にとブログを始めました。
再発、移植、その後の歩みを書き記しています。AML-M2(8;21)



コウタのすぐ上の兄 次男の応援に
青森まで行ってきました。








高校のカッターボート
予選を勝ち進み、青森八戸での全国大会 

応援のために、金曜日の夕方に伊丹から青森へ
土曜日、日曜日と試合を観戦してきました。 


京都の日本海側 宮津の高校へ進学し
寮生活をしてきた次男 
カッターと言うスポーツに出会い、3年間ひたすらに打ち込んで来ました。 

この大会では
準々決勝から勝ち進みましたが、
二日目の準決勝で惜しくも敗れてしまいました。

本当によく頑張りました。



同じスポーツをしてる他校の仲間と



3年間をやりきって、決勝に行けなかった悔しさをひとりで噛みしめていました。

キャプテンとして抱えてきたものも沢山あったと思います。



地元から通う下学年の子のお父さんが、息子にとても良くして下さって
いつも支え励まし応援して来て下さっていたと知りました。 

子供が1人 
生まれて大人になるまでに
いったいどれほどの人に支えられ育てられているんでしょうか。


私は、ごくごく普通に子育てをしたいと望んできて
そして 特別に優れた親でもなければ、特別に何かが秀でてる訳でもなく
だからこそ 大きな欲を持つことも無かったと思っています。 

そんな日常のなかに、突然、子供の1人が病気になった。
そして、それは命に関わる重い病気で
親の精神面も、闘病による二重生活の経済面も、完全付き添いでの離別している暮らしも
病児の兄であった長男と次男には重く背負わしたに違いない。
あの頃 兄達は心を壊すことなく成長出来るのだろうかと不安でした。
コウタへは生きて欲しいと望み、離れて生活している兄達の生活も憂いているばかりでした。

小学生の5年や3年のあたりで
突然、弟と母親が丸一年以上 病院にいる。

家族ぐるみで仲良くしてた近所の何軒ものおうちが
兄達を晩御飯に招いてくれて
誕生日を祝ってくれて
学校のことを、そっと手伝ってくれていました。

病院では
私達、付き添いの親への教育の時間をサポートしてもらいました。
【患児の兄弟姉妹のフォローを忘れないように!】と座学があり 兄達の心に目を向けることを忘れないようにと投げ掛けてもらっていました。
これだって、忙しい看護師さんたちが業務をこなす仕事のなかで、今まで沢山の困難にある家庭の様子を見て、兄弟姉妹の大変な状況に目や耳を向け、仕事の枠を越えたサポートを作り出してくれていた訳で 
看護師さんたちが与えてくれたものが、この子の成長にだって少なからず影響している。


精一杯にカッターをやりきった息子の涙や周りの仲間とのシーンを見ると
息子に注がれて来た、数えきれない人達の愛情の深さ、大きさを想わずにいられませんでした。 



私は、自分自身の生まれ育った家庭が
子育てに良い状況でな無かったために
とても、過酷な幼少期を過ごしてきました。
常に緊張を強いられ、理不尽さを感じ、様々な重い感情を抱える子供でした。

自分で自分を救うために、児童心理学の本を沢山読みました。中学生あたりの頃からです。
そして、友達の家に遊びに行き 他所の家庭に沢山入らせてもらっていました。←子供の心を見れる優しいお母さんたちが沢山居てくれました。


幼い子達への愛情は、ありったけ注がれていいんだと思うんです。
もちろん甘やかしはダメですけど。 

成長の段階のなかに、親だけじゃなく
出会い関わってくれる人達からも子供は育ててもらってるんだと思う 


愛情を受け止められる器のようなものを
どれだけ手にいれられるのか は 
とても重要なことでもあり

寂しさや怒りや悲しみ 
惨めさや恨み 
あまりに、大きな重い感情に長期に渡りさらされてしまうと 
器が割れてしまう。 

小児がん闘病の影に
兄弟姉妹が置きざりにされてはいけないと
ずっと思い続けています。 










やってみたいと思うこと、思う場所に飛び込める
楽しい時には大いに笑い
沢山の友達とワイワイつるんで
悲しい時には涙を流し 
誰かの愛情にありがとうと感謝して言える 


この子の心の大事な器は
しっかりと壊れずに護られてたと
青森の海で思いました。 






今回、
実は 私の勤め先の大学はオープンキャンパスがありました。

日曜日 

オープンキャンパスは来客数も多く
とても営業のしんどい日なんです。
責任者の自分が休むなんて、本当に困難なことなのですが 

パートさんたちは、とにかく、絶対に私が休みを取れるようにと もう 誰ひとりとして私が仕事に出て来る形を作らないように動き回って下さってました。
会社にも(休む!)と言え!!と背中を押されまくり
【私らに任せといたらいいねん!】と 
みんなで段取りや打ち合わせをしてくれてました

金曜日、まだまだ〆作業の終わらないなかに
追い出してくれて 弾丸で空港へ走りました。

子供にとって、何が大事なのか
働く自分と母親として生きる自分の
どちらも大事!! 
それを、どんな時も 易々とは両立出来ない。

だけど、同じ気持ちを持って パートと家庭をどちらも努力して立ち向かってる母たちの一致団結した送り出しをもらって 

お休みをもらいました。 


息子の人生の一幕を 自分の目で見る機会をもらった。 

大人になった 先の人生にも
人は、人の思いやりや愛情に支えられ生きてる。

本当に ありがたい
 

高校3年生になった 病児の兄弟だった兄は
元気にめいいっぱい青春を過ごしています。

どんな時も
こどもがいつも真ん中にいられるように
小児がんやその他のあらゆる困難にサポートがもっともっと生まれて行けばいいなと願います。