月日がたって分かった息子のこと | Saeのお得ライフ ~カフェ・旅行・株主優待に恋しています~

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昨日 法事から帰ってきてから


息子といろんな昔話をしました。




彼は昨日は部活で法事には行かなかったんだけど、


それこそ…、その当時のうちは不幸続きで、彼が幼児の時から葬式・法事・月のおつとめなどで、親に連れまわされていましたし、静かでいい子にしていなきゃいけない環境でどう思っていたのかな?とか、祖父母のことはおぼえてるのか?とか、その前後の色々で私達夫婦がもめていたりしたことなど、おぼえているのかな?と。。


その当時は シャイで無口な 男の子には 表現力やボキャブラリーというものがありませんでしたので


彼の思っていたことが 当時 分かっているつもりだったけど、?だったので色々と聞いてみました。




今は 高校3年生


女子ほどではないにせよ 自分の意見くらいは いえるようになりましたので




思ってたよりは、葬式や法事ばかりの幼少期というのは、メンタル面にはひびいていなかったみたいです。


葬式や法事などで、時間拘束させられたり、静かにしなきゃいけないことや不自由な事より、色んなこと背負って私たちも精一杯だったのですが…親が喧嘩していることや、私が泣いているのをみているほうが辛かったようですね。。。



そこから、幼稚園のときのこと、小学校のときのこと、中学校のときのこと


一気に色々と喋り始めました(笑)


自分でも 言ってました。


当時は、頭の中で思っていること、考えていることを、言葉として表現することが出来なかったと(笑)


人に伝わるだけの表現力もボキャブラリーもなかったから、首をかしげるしかできなかったと…(苦笑)




小学3年生のときに 女性の年配の担任に懇談で 「出来ない子」「無理です」「ついていけてません」「お母さんどうされますか」といわれ、発達の遅れを指摘されました。


提出物が出せないといわれ、息子の宿題や夏休みの宿題を一緒にやり、ランドセルチェックした日々


授業についていけてないとのことで、学研にお願いにいき、一学年下からやりなおし、家でもプリントチェックしました。


4年生の時に、発達の遅れなんてバランスの悪い部分なんて大人にだってあるし、名前をつけようと思うなら誰にだって発達や病気の名前をつけることはできます。ましてや、子どもなのだから、バランスの整っていない部分があって当たり前なんですから。と、新任の若い男の先生が言ってくれて、私も息子も救われました。


4年のときには、成績も真ん中くらいに戻っていましたし、何が普通で何が普通じゃないのか?何が人と違うのか、普通って何?と思ったきっかけでした。そして、先生という存在にも疑問を感じたり。。(ベテランとか新米とか関係なくて人だよねって思った) 息子も4年の先生は好きだったから勉強が楽しくなったんだっていってた。



そのときのこと、その頃のこと、本人がペラペラと(笑) 喋り始めました。


3年生の年配の細かい先生は、息子的にも無理だったんだと…吐露しました(苦笑) 確かに忘れ物も多く、こだわりの多い彼は、1年2年も忘れ物や提出物の遅れはあったんです。


頭の中で描くストーリーや絵、アイディア等を、文や絵でノートに書くには、自分の文章力や力もなく、また時間も足りなかったため、決まった時間に出来上がらなかったとのこと。(忘れ物はうっかりが多いので、忘れてるんですけどね…(苦笑))


だけど、1年の先生は怖かったけど愛情から叱ってくれ、2年の先生は彼の性格からわざとではないことは理解してくれていたと。どちらの先生も、期限に遅れても、後で提出したら受け取ってくれていたと。


しかし、3年の先生は、期限をすぎると恐ろしくヒステリックに叱りつけ、ため息をついて放置され、その後はまったく無視&無関心だったそうで、本人は、どうせわかってくれないし、見てもくれないんだから…と、頑張ることも、後で出すことも諦めたそうです。(小学校の担任は全教科担当のため、1日中で結構苦痛だったよう…。。)


「実は 3年生のあのときは 学校にいきたくなかったんだよ、僕」


「クラスのともだちは好きだったし ママを悲しませるから 学校にはいってたけど…」


「あ、でも あの夏休みに2人でつくった自由研究はおぼえてる♪ すごかったよね☆」



まぁ~~ 日頃は無口なクセに、10年間くらいの私の???だった部分や衝撃的な内容まで、一気に(;´▽`A``


「ただ、あれから 習いごとが増えてしまって、本当はもっと遊びたかったんだよね…」


「小学校が習い事ばかりで忙しかったから、中学校でもういいや~って勉強しなくなった気がする」


「あと、うちの中学は優秀すぎて、やってもどうせ敵わないから、僕なんか無理かなぁ~って、早々に諦めてやってなかった」


「いま思えば、僕より優秀な子が、すごい時間努力して勉強してるのに何の努力もしてない僕がかなうほうがおかしい」



そして、今の高校の話や、進路の話へと



「今は、担任の先生や高校の仲間との会話、そして部活の活動などでそれが分かるようになった」


「僕は人より小さかったし、言葉も運動も勉強も体も成長がゆっくりだったけど、高校生の今は身長も運動能力も追いついてきたと自分で感じてる」


「今からだって頑張れば、追いつくことだって、超えることだって出来ないことでもない。でも、それは勉強ではなくて、僕の場合は違うことでしたいことがある」


「それを気づかせてくれたのは今の高校の先生たちで、特に担任で顧問の先生である恩師で、その先生は、いくつであっても夢をかなえる努力をすることでそれを手に入れる事が出来るという事を実際に自分で実践して生きてきた人なんだ」


  (息子の先生は、受験の失敗後、私立の工業高校から大学に行き先生になった熱血先生で、息子の部活を全国に率いてくれてる人なんです)



そんな話をしました。


ちょっと 息子の成長を感じて、そして息子の人生にかかわってくれている方々のことを想って泣いてしまいました(。>0<。)


そして、小学校時代に色々と指摘されたことで、息子を助けるつもりで入れた習い事が結果…中学で勉強を放棄するきっかけになったというのも…驚きであり反省でもありました(苦笑)


ただ、本人も…「でも、僕は塾や自分では勉強しなかっただろうから、中学はママがつけた家庭教師で正解やったと思う」「家庭教師ついてなかったら、基礎学力からやり直しやっただろうから、それじゃ、今の高校に受からなかったかもしれないから。先生もいいお兄ちゃんやったし。細かい女の先生とかならダメやったろなー(笑)」と、いってました(苦笑)


当時は、いきたいとこを決めたときにさかのぼって基礎まで復讐するのは時間がかかるから、授業に遅れれない最低限のところと、息子の不得意分野を、息子と相性のよさそうな大学生のお兄ちゃん先生でお願いしていました。


勉強する意味は、当時は分からなかったとのことです。


で、意味は理解できたけど、今も勉強は嫌いだそう(爆笑)


ただし、自分でやりたい世界や分野に必要なことはやりたいと思うし、興味ある分野は楽しいから、そこに集中していきたいんだって。


今はね、提出物も忘れ物もほとんどないって。忘れると自分が困るから(笑) そして、たま~に忘れたら友達にかりたり、遅れそうなときは先生に事情を説明して再提出する期日をのばしてもらう交渉も出来るだけのボキャブラリーもあるそうです(苦笑)


も、 泣いたり(。>0<。) 驚いたり∑ヾ( ̄0 ̄;ノ 感心したり( ´艸`) 呆れたり(=◇=;) 


会話としたら 30分ほどの内容なんですが、私…百面相しました( ̄_ ̄ i)




息子の… 幼い時のいじらしい場面も思いだしたりしながら、飄々としゃべる…男の顔をした知らない面まで見れまして  


ちょっと 子離れできそうでございます。。(笑)


息子のほうは 色々と未熟な面はありつつも もう 親離れは 気持ちのほうは出来てそうです 


そのうち 一人暮らしがしたいんだって~~



複雑~な 心境の 昨日の1日


心の整理も兼ねまして 文章にしています。。。。



また 10年したら 読み返したいと思います。。。(苦笑)



~~ 小学校低学年の不器用な男の子のお母さんに ~~


ゆっくり子育てしてくださいね


ひよひよしてる今を 抱きしめて 楽しんで


あっというまに大人の男になって、羽ばたいていってしまいます