早くも #中越沖地震から11年 ・・・ | 佐渡暇人日記

佐渡暇人日記

真面目な政治経済から助平な政治経済までを語る。
佐渡暇人放送管理人の佐渡暇人のおっさんのブログです。w 
基本はツイッターより抜粋したまとめBLOGです。
多少のオチョクリはご容赦ください。w

まずは,黙祷。

 

早いもので・・・

もう11年かあ・・・

 

 

 

【当時を振り返る。】

2007年7月16日の午前10時13分に発生した・・・

当時私は、柏崎市に居た・・・

柏崎市に泊り込みで遊びに行っていた・・・

ホテルをチェックアウトして柏崎の商店街を運転中のことだった・・・

一瞬、後ろから追突されたか?と錯覚した。

だが、そうではなかった・・・

目の前の住宅の壁が崩れていくのが見えた・・・

電柱の電線も大きく揺れて、引き込み線が切れたのも見えた・・・

追突されたではなく地震だ!!

と気がつくまで、あまりにも突然すぎて時間がとまった・・・

 

飲み物を買いにコンビニに寄ろうとしていたが・・・

コンビニも崩壊の危険性があると急遽閉店した。

(それ以来、運転の際は必ず水を持参するようになった。)

 

友達に安否確認の電話をかけるも繋がらない・・・

そうこうしているうちに、街中に緊急車両のサイレンの音が・・・

このまま友人宅を訪問すべきか?

このまま新潟に帰るべきか?迷ってコンビニの駐車場に居た。

ラジオは地震速報で情報が流れ始めていた・・・

 

こんなに大きな地震は初めてだ・・・

もう、友人は死んでるかもしれない・・・

一旦、友人宅を目指して引き返した・・・

だが、どんどん家屋が崩壊して、これ以上は危険と判断して、

新潟に帰る事を選択した。

 

救急車が間に合わないのか?

パトカーで老人を運ぶ姿も見えた。

恐らく病院に向かったのではないだろうか・・・

 

途中、警察官から「高速は使わず刈羽経由で下道で」と言われた。

柏崎刈羽原発の前を通過して刈羽村に入ると電柱が斜めになり、

今にも倒れそうな状況になっていた・・・

道路は亀裂が入り、デコボコな状況の中を進んだ・・・

その頃から、上空には報道なのか?警察なのか?

区別もつかないくらいにヘリの音が聞こえ始めた・・・

ラジヲで被災状況を聞いて死ななくてよかったと感じた。

そのうち、災害応援の緊急車両と擦れ違った。

そして新潟に戻ったのは夕方5時半頃だった・・・

友人達は生きてるだろうか?と思った。

結局、全員の無事が確認できるまで、見殺しにした感がしたが・・・

逆に、「無事に帰れてよかった。」と後日電話で言われた。

 

しかし、心無い人間は居るものです。

 

「柏崎に居たんなら写真撮ってミクシーにあげればよかったのに」

「なんで、そういう貴重な経験をミクシーに残さないんだ?」と。

こいつ人間か?と思った。

「俺は新聞記者じゃねー!!ふざけるな!!」

家屋崩壊。人が死んだかもしれないところを、写真撮れるか!!」

それでも彼は・・・

「そこを残すのも大事な事だ」と。

しかも、その後被災を視察した佐渡市役所の職員の言葉!!

ド田舎の昔ながらのコネ採用のインチキ公務員のレベルは

この程度です!!

何が視察だ?遊びに行ったのか?このバカは!!と思った。

勿論、本人は写真撮りまくっていた・・・

 

こんなことで地方がよくなるわけはありません!!

国の政策ばかりが悪いわけではありません。!!

 

どんなに国が危機管理対策しても地元の公務員がアホじゃ、

まともに対策できるわけがないと思いました。

 

その点、柏崎市はちゃんとしてるように私は見えました。

てか、それが当たり前なのですが・・・

 

もう、ド田舎の悪しき風習はやめて、コンプライアンス重視で、

まともな人間を採用しないと地方は崩壊してしまいます。

九州かどこかで教員不正採用事件が明るみにでましたが・・・

この当時は、こういうことが横行していましたからねえ・・・

コネそのものを全否定はできいけれども・・・

能力ある人を採用しろよ!!と思う。

採用が単なるインチキだと職員もインチキになってしまいます。

 

私は、ある意味良い経験をしたと今となっては感じています。

 

以上、佐渡暇人放送でした。