初めて背中を見送ったあの日を、ただ思い出してた。


 今でもはっきりと言えるんだ。


 大好きだった。とっても、大好きだったって。




「で、なんで春爛漫のはずの新学期にお前と登校?」


「うっさいわ。とにかく急いで、遅れるから」


「おま、なんだよその口の利き方」


「いーから、急ぐ! 新学期から相澤の説教なんてまっぴらごめんだし」


「じゃあ寝坊なんてしてんじゃねーよ!」


「お互い様っ」


 男女の友情なんてないって、みんなが言う。

 でも私の場合ちゃんとある。カズとは間違えても恋人同士なんて絶対無理、キスをしたり、セックスしたり・・・考えるだけで悪寒がする。

 あともう2人カズと似たような関係のやつがいて、ザキとヤマテツ。いつもなんでかこの3人と一緒にいる。でも友だち以上の関係なんて絶対無理なわけで。


 カズのチャリが学校へ続く緩い坂を駆け上る。後ろに立ち乗りしてる私は早く早くとカズの背中を叩きながら急かす。日差しが熱いくらいの新学期の朝だった。


「セーフっ!!」


 教室に入るなり、ヤマテツが大きなジェスチャー付きのセーフで私たちを出迎える。


「新学期早々仲がいいな、まったく」


 バカにしたように鼻で笑いながらそう言ったのはザキ。


「うっさいわ」

「てか、相澤は?」

「職員会議長引いてるらしい」

「え、新学期早々問題アリ?」

「知らね」


 息を整えながら席につく。新学期だから出席番号順。私の席は教室のど真ん中だった。私のななめ右前にヤマテツ、カズは限りなく教室のドア側に近くて、ザキはカズとヤマテツのちょうど中間ぐらい。

 もう朝のHRのチャイムはとっくに鳴ってたから、大人しくそれぞれの席につく。で、いつものようにヤマテツが振り返って、私に話しかける。


「なあ、クラス替えあったのにまた4人一緒とかすげーよな!」

「相澤が手のかかる生徒をそのまま残しただけでしょ」

「え、俺って手かかんない方だと思わねぇ?」

「うん、思わない。むしろ1番の心配要素があんたでしょ」


 無遅刻無欠席、去年の12月に40度の熱出したときだって登校してきたくらい学校が好きで問題なんてないように見えるヤマテツだけど、勉強が全然出来ない。っていうか、ちゃんと勉強してるのに点数が取れない。得意不得意がこんなにわかりやすいのも珍しいっていうか、努力してるのに報われないのはさすがに可哀そうっていうか。

 でも勉強が出来ないぐらいで、人間としては最高だと思う。行事には率先してクラスを引っ張っててくれる、気持ちを盛り上げるのがうまいっていうか、人のやる気を引き出すっていうか、興味を引き付けるっていうか・・・そういう力に溢れている。


「またまたー!そんなにやきもち妬くなよ」

「妬いてないから」

「そういえば、俺の前の席のやつって誰だろ。まだ来てねーみたいなんだけど」


 ヤマテツの前の席・・・ホントだ、誰も座ってる気配がない。


「新学期早々休みかよー」


 まさか、せめて新学期初日ぐらいは出るでしょ、と言おうとしたときだった。教室の後ろ側から黄色い声が上がり始めて、ヤマテツと一緒にその声の方を見る。そして女子たちが一斉に口を開く。


「うそっ、鶴海くんと一緒のクラス!?」

「どうしよう、めちゃめちゃラッキーじゃん!」

「やっぱりカッコいいー!」


 向き直って、ヤマテツに視線を投げる。鶴海ってなにもの?

 ヤマテツはそれに答えるように小声で返事をした。


「鶴海って女子にかなり人気あるらしい。って、お前も女子だろ!?」

「いや、私、ホントそういうの興味ないから」

「この学校で鶴海知らないのお前くらいじゃね?」

「だから何者なの」


 そんなやりとりをしてるヤマテツと私の間を例の鶴海が通る。ちらっと横顔を拝見。黒髪のベリーショート。そこら辺の女子よりも全然綺麗な肌と、すっと伸びる鼻筋。

 ヤマテツとの会話が止まる。鶴海が座ったのはヤマテツの前の席。鞄を机の上に置いた鶴海は振り返って女子側の席を見つめた。女子の甲高い声が教室に響く。それを見た鶴海はニコリと笑って・・・。


「!!」


 全身に鳥肌が立つ。出逢って約30秒、私は鶴海という男を絶対に好きになれそうにない。

 女子たちが騒ぎだす。たしかに顔はいいかもしれない。でもコイツ、ただの。


「おーい、夏木?だいじょうぶか?」


 ヤマテツが俯く私を心配そうにのぞきこむ。

 でも、だって許せん。この狭い教室の中で同じ空気吸うのも気持ち悪いと思うほどに、一瞬で人を嫌いになってしまった。

 芸能人ならともかく、ウィンクする男、初めて見たし、男にウィンクされたのも初めてだ。けど、なんで私。どうして私。女子たちの視線が痛い、後頭部に突き刺さってるのがわかる。しかも、そのあと気持ち良さそうに口笛を吹きながら席に悠々と座ってる後ろ姿を見てるだけで腹が立つ。

 別に、女子にモテる男が嫌いってわけじゃない。むしろ私がその他大勢の女子になれないことの方がおかしい。でも、だけど。


「夏木?」

「ヤマテツ・・・」

「ん?」

「私、2年間このクラスであること幸せに思ってたんだよね、つい1分ぐらい前まで。でもたった1分ぐらい前にすべてブチ壊された気がした」

「はぁ? なんだよそれ」


 新学期、新しいクラス、私は春を満喫しようと思っていたのに、こいつのせいで、こいつのせいで・・・!

 女子側に振りむいてみると、コソコソ話をしながらこちらを見ている。同時に鋭い目線が4つほど刺さった。

 ふっざけんな、鶴海!この状況なんとかしろ!ウィンクすんなら、私以外の子にしとけ!

 何故だか妙に泣きたくなった。私の春を返せ。

 寒空の下、俺たちは小さな籠から飛び出した。あんなにキラキラした未来図を描くのは今後きっと無理なんだろう。それくらい明日という日が楽しみで、嬉しくて堪らなかった。

 3LDKの何もない部屋。リビングには寝袋に包まったいつかの俺たちがそこにはいた。震えがとまらない2月の寒い日だった。何も無かったこの部屋と、3人の胸には目に見えない何かを詰め込んで、体を寄せ合って未来の話をした。過去の出来事なんて忘れてしまっていた。この3人でいれば、何も怖いものなんてないと思っていたから。あの日に交わした約束さえあれば、支えあって生きていけると、そう信じていた。

 今でも、そう信じている。



 冷蔵庫に張り付けられている、ホワイトボードを眺める。利史は夜勤明けでさっき帰ってきたらしい。麻樹は午後からコンビニのバイトか。

 冷蔵庫を開けてみる。そろそろ買い物に行かないと食い物と言える食い物がない。どうせまともな料理が出来るのは麻樹ぐらいだし、麻樹に頼んでおこう。

 2日前に期限が切れたらしい牛乳を流し込みながら、ホワイトボードに麻樹宛のメッセージとついでに利史にもメッセージを書き込む。

 時計は朝の8時15分を知らせている。最近バイトを3つ掛け持ちしているから、さすがに疲れが抜けない。けど、不思議とツラいと感じない。むしろ1日毎に楽しみが増えていく。

 2人には今日帰ってきたら言おう。

 正直、不安要素はないとは言えない。むしろそれなりにある。でも、それでも、初めてあの子と会ったあの日を思い出しては、胸のところが妙に切なくなった。生まれて初めての感覚だ。だけど、それさえも嬉しいと思える。こんなこと言ったら、利史にバカにされるんだろうな。麻樹はどうだろう。

 俺たちは不幸だって言われてた。本当はそんなことなかったのに。人と比べたら、少し違った環境にいただけ。確かに悲しいことも、傷つくこともたくさんあった。もちろんたくさんの人を裏切って、傷つけてきた。だけど、そんな俺たちだったからこそ、得たものは人よりも多かったように思う。

 だからこそ、分けられる優しさも人とは違った厚みがあるように、俺は思ってる。


 明日なんていらないって思ってたんだ。毎日がどす黒くて、目の前に広がる世界が歪んで見えた。人なんているから世界は平和になれないんだ、なんて嘆いたこともあるし、全部俺が悪いんだって抱え込んで、追いこんでどうしようもなくなって苦しくなった日々もあった。でもそんな思いをしてるのは俺だけじゃないって思って、世界は少し広がった。同じ目をした2人と出会って、世界は少しずつ白くなって、最近になってようやく色がついてきた。人生なんてそんな僅かな一歩の積み重ねで、目に見えて前に進めることの方が難しいように思う。同じ毎日なんてやってこないし、だからこそ後悔のない日々を送りたいと思う。毎日を何らかの感情で埋め尽くしたいと思ってる。

 小さい頃によく3人で分けて食べた色とりどりのドロップのような、そんな日々が待ってると、ここに来たばかりの俺たちは信じてやまなかったけど、今はどうだろう?

 少なくとも俺は……。


 家の鍵を手にして、静かに玄関のドアを閉める。

 2人にあの話をしたら、どんな反応をするだろう。まず怒るだろうな…それから。

 永遠と巡るその想像を頭の隅に押し込めて、足早にバイトに向かう。

 全ては俺たちが出会う前から始まっていたのかもしれない。