石原慎太郎の『灰色の教室』 | さむたいむ2

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今日も元気で

前言を撤回しなければなりません。

石原慎太郎の読者でなかった私がたった2冊を読んだだけで判断してしまいました。それも映画『太陽の季節』『狂った果実』のDVDを観てから誘発されという性急さ故に。

 

昭和29年12月「一橋文芸」という石原慎太郎の母校が出版している雑誌に発表した、いわば処女作といえる『灰色の教室』を読んだのです。ジャン・コクトーの『恐るべき子供たち』の一部をエピグラフに使い、文学青年の気負いを感じますが、これはどうやら彼のスタイルで、むしろ文学など馬鹿にしているところを誇示しています。

 

内容はK学園のハイスクールでのこと。石井義久を主人公にした裕福な家庭の高校生が繰り広げる様々な挿話です。授業を抜け出し雀荘で遊ぶ彼ら。昼食は近くのレストランへ。およそ高校生とは思えない贅沢さです。思春期特有の生意気さを表現するにはむしろ邪魔な筋立てですが、こうした高校生もいるかもしれません。そして高校生活に退屈を感じ、自殺を繰り返す宮下加津彦という友人がいます。

 

「彼は本当に死ぬほど退屈していたのだろうか」と自問自答します。他の友人たちは自殺の原因は女にあると噂しています。それを聞いた義久は、「この男こそ本当に恋のためには死ぬことが出来る男か、でなければ一生恋など全く出来ない、どちらかの必ず一つ」と信じています。それは義久が嘉津彦との付き合いで知り得た確信です。ビリヤードで遊び、また銀座などのキャバレーで女給たちと興じた姿を見ていたからで、およそ女のためには死なない奴だという確証です。

 

義久は「灰色の教室」を身を引いて見ています。嘉津彦とはまた違った退屈さを彼も知っているからです。また『太陽の季節』にも描かれている女の子の死。ボクシングをする樫野のいう友人の恋人啓子の話。段々彼女に対して素気なくなり、それでも啓子はじっと我慢して彼についていきます。あげくの果てに啓子は子供を産みそこない、余病を併発してあっけなく死んでしまいます。すでにここで『太陽の季節』の下書きが出来ています。

 

これすべてフィクションにしても現実にあり得る話です。ただ高校生の話としたら彼らはまさに「恐るべき子供たち」です。

 

印象的な挿話の一つ紹介しましょう。「美知子は自ら義久を誘った時は絶対彼へ金銭的な負担を掛けまいとしたが、彼にとっては先に立って精算を済ませる彼女の後から、レジスターの前を通って外に出ることがたまらない気持だった。少し気の効く女ならチェックを見てそっとその金額を男に渡して払いをさせるものだ。彼女はそんなことを知ってか知らずか、こんな事までに必要以上に三つの年長を気遣うのだ。」 

 

石原慎太郎の原点はここにあったのです。『灰色の教室」は饒舌なまでの作品です。氏の傲慢な態度の陰に、こうした素顔を見たのは私だけでしょうか。たぶん「一橋文芸」に載ったこの短編を見た「文學界」の編集者が『太陽の季節』を書かせたのでしょう。そして彼の才能を見越して、出来得る限り贅肉を取り除き出来上がったのが『太陽の季節』です。これはあくまで私の想像ですが・・・・。