sadameのブログ

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「頭が足りない」と笑われていたほうが
幸せにちょっとだけ近い
笑われている理由を知って
それでも自分は自分なのだとすれば
幸せにもっと近くなるけれども
孤独の影が色濃くなる
僕は馬鹿でかまわない
いつも幸せでいたいんだ
不幸せは知らない事で訪れるのかも知れない
お友達と認識しる
カワイイ坊っちゃんやお城ちゃんに
「こんにちわ」
「さようなら」

ほほえみがかえってきたら
それは成功なんだ
幸せの果実なんだ

みなさんこんにちわ
わたしはsadameです
どうかよろしく
ねずちゅうのかわいらしさをしるには
わずかでよいから
きみのところにはつかねずみがくる
そのかくりつはひじょうにひくい

げっしるいがきみのまくらもとに
とうらいしたら
すなわちねずちゅうようのしょくを

あんぜんかどうかをためすべき
ほにゅうるいのはてと
みずからをするなら

きょうもねずちゅうはあまがみする
そしてこねずみにおいしいおっぱいをふくませる

うそとおもうなら
わたしのいえの
ねずちゅうのおうちをごらんなさい

さんせだいだとおもう
あたらしいいでんしもいれた

きょうもおかあさんのおちちをすって
ちいさないのちがそだってる

ちいさくなくけれどもそれはじこしゅちょう
てのひらでせいいっぱい

おちびだもんね
おとうさんのかわいいこだものね

そうしてひはくれるのであった
長い睫毛のその先に、綺麗な瞳があるんです。きりんさんのおめめです。
ねずちゅうをポケットに入れて、切符を二枚。一枚はねずちゅうの分だよ。
駅員さんは「不要だよ。払い戻してあげましょう」と。ねずちゅうは無賃乗車(笑)
電車は桜木町に着いて、そこから徒歩だよ。道すがらの多くの「阻害された」人。
でもね、大抵は優しくて、優しいから阻害されるんだよ。ポケットからなずちゅうを
出してあげて、彼らのてのひらに預けると「可愛いね。撫でて良いかい?」と。
社会がどんどんと搾取する資本家に支配される中、優しい彼らは棄てられる。
「こいつは何世代目だね?新しい血を入れないとダメだ」かつて獣医師だったらしい。
今はボロボロの衣服をまとい、悲しく、澄んだ、瞳を、私に向けて。

動物園は眼前にあった。獣と呼ぶのは止そう。ポケットの中のねずちゅうが
そわそわしている。嗅覚が鋭いからね。私は「さあ来たよ。たくさんのお友達に会おうね」と。
順路表示を無視して逆にめぐる。水牛の角の間を撫でる。他の来園者には不思議だっと
思う。私に水牛が全頭寄ってくるのが。可愛い水牛。働き者の水牛。貴重な労働力の具現。
「そうさ。君たちが単なる肉になりはしない。だっておともだちだから」私は言った。
そうすると水牛はもっと撫でてとおねだりをするのだった。

メインの動物は順路の最初と中間に居る。私が会いたいのは「キリン」だ。
保護色とは思えない、あの柄の、あの巨大な哺乳類だ。誤った認識と流言の中華風麒麟では無い。
長い首を打ち付け合い、角で相手を傷つける。凶暴な獣。飼い慣らされたキリンだが、会う価値は
あるのだ。寂れた「水族館」で「オオサンショウウオ」の憂鬱を観て、そうして会った。
ポケットのねずちゅうは怖がっていたが、キリンの長くて優しい舌に触れると判った様だ。
「おともだち」だと。黄昏が迫り私達は去らねばならなかった。名残惜しいが。
文字通り「臭い飯」であるドヤ街の、店主が「パン券は?」尋ねる。「現金だほら。汚い商売だな」と
捨て台詞を吐いた。キリンの潔さと、無縁な、ドヤ街の憂鬱。昨夜「身元不明」な漢が死んだ。
簡易宿泊所さえ利用出来ずに、炊き出しさえも利用せずに。

キリンの「濡れた瞳」はきっと潰えて逝く命を悲しいで満たす為なのかもしれない。
私はねずちゅうを満遍なく撫でた。そう、私のポケットの浅さを呪いながら。

  了