「子供は親ではない大人から世間を教えてもらう」


「ああしろ、こうしろ。ああしちゃいけない、こうしちゃいけない」は親の専売特許。


親以外の大人は他人だから、強制力がない、子供相手に自分の子供だった頃の夢を熱く語ったり


異性に対しての感情は、けっしていやらしいことではなく、大人への入り口だと教えてくれる。


「好きな子はいるの?」


「どんな本を読んでるの?」


「勉強以外で好きなことは何?」


シンプルな質問だけど、親は問わない。


わが子のことだから、おおよその見当をつけている。


その見当は、たいていははずれている。


子供は親に本心を言わないものだから、親を安心させるために。


だから、けんかになると


「本当のことを言え」とくる。


本当のことを言ったら、怒るべさ。







何度もブログに登場する、ママの名(迷)言集の中の一つ。


「ママに好かれる子にならんでええの、他所のおじちゃんやおばちゃんに好かれるような子に


 なりなさい」


オムツがとれて、一人で歩きだしたころから、すでに

ワタシを導いてくれたのは近隣のおじちゃん、おばちゃんだったと思います。

家の中の、女の仕事、洗濯物をたたんだり、テーブルの上にお茶碗や、お味噌汁やおかずの

配膳をしたり、お風呂を洗ったり、たんすの引き出しの中の整理整頓にいたるまで

教えてくれたのは、ママとお店とワタシのお世話をしてくれた文ちゃんです。




「歯は二度とはえてこーへんよ、泣いてないで、歯医者さんへ行きなさい」


普通、母親が子供をなだめてすかして、連れていくのが10人中9人、いえ10人中10人だと


思いますが、ウチはちがいます。


涙目で文ちゃんを見ると


「文ちゃんは、お店の人やで、あんたのお世話する人とちがうの」


甘えてすがれる大人はもう他にいません。


痛い、恐い、情けない。


角の郵便局を見ただけで、隣の歯医者の音や匂いがする。


でも、痛いのこれ以上我慢できない。


ベー子、絶体絶命。


歯だけではなく、全身が痛い。


なんとか、運動靴をはいて、一人で3歩すすんで、2歩さがる。


10分もかからない道を、行っては戻り、戻ってはちょっと歩きして1時間はかかったかもしれ

ません。


赤いビニールのハンドバッグには、ハンカチ、ちりがみ、診察券とお金。


もう一枚の手でにぎりしめているハンカチは、涙と鼻水でぐじょぐじょ。







重たいドアを開けると、看護婦さんがとんで出てきてくれた。


先生の奥さんです。


「よう、一人できたな、かしこいなべーちゃんは」


「歯が痛い」と言ったきり、こらえていた声が


壊れたラッパのような大きな音で病院中にひびきわたった。


ひとしきり、しゃくって泣いた後。


先生は持てる技術の全てを使って、痛くないように治療してくれたと思います。


その間中、先生の奥さんはハンカチをにぎりしめたグウの手を両手で包んでいてくれていました。




「べーちゃん、これママにあげてな」


庭で丹精こめた、ピンクや赤のバラをデパートの包装紙にくるんで持たせてくれました。


「ママの好きなお花や、ありがとう」


「道草せんと、早ようお帰り」


バラの花束をママに渡したくて、もう無我夢中。


 バラが咲いたぁーバラがさいたぁ、真っ赤なバラぁがぁー


きっと走りながら、歌ったと思います。


恐かったけど、一人でやりとげた達成感で胸がいっぱい。


文ちゃんはきっと、ほめてくれる。


ママは花束を見て、笑ってくれる。






大人になって


あの時、ママにつきはなされた、情けない思い


先生と奥さんに両手をひろげて迎えられた時に、しめつけられた胸がとけていくような感じ


文ちゃんが、両手でほっぺたをはさんでグリグリしてくれたあの感触


懐かしいだけじゃなくて、大切な何か、目に見えない心が寄り添ってくれる、そう寄り添って


くれる、相手に安心させる心の波長みたいなものを教えてもらった気がします。



もしもの話は、時間の無駄だけど、


もし、ママが10人中10人のママみたいに、一緒に歯医者さんへ行ってくれる


ママやったら。


でも、ママは11人目のママ


だから、ワタシは11人目のワタシ。