これ、wikiのコピペです。

趣味(しゅみ)は、以下の二つの意味を持つ。

1.人間が自由時間(生理的必要時間と労働時間を除いた時間、余暇)に、好んで習慣的に繰り返しおこなう行為、事柄やその対象のこと。道楽ないしホビー(英: hobby)。


2.物の持つ味わい・おもむき(情趣)を指し、それを観賞しうる能力(美しいものや面白いものについての好みや嗜好)のこと(英: taste)。調度品など品物を選定する場合の美意識や審美眼などに対して「趣味がよい/わるい」などと評価する時の趣味はこちらの意味である。

What's youre hobby? のホビーは1ですね。

ワタシ、ブログの紹介のところに、まずわ、ワタシってこんな人ですという

自己紹介に、


趣味は?

 読書です。DVDを観ます。庭で花や木の世話をしています。

 お惣菜を料理するのが好きです。なのでおばあちゃんになっ

 たら、古本屋さんとお惣菜屋さんをやりたいと思っています。


 1の好んで、習慣的に繰り返しおこなう行為の、1番にあげることは、やはり

 読書なんです。でも、ここに1番に、読書と書くことにちょっと迷いがありました。

 読書をDVDの観賞やお惣菜作りと一緒にすることに、生意気にも、うな垂れてしまう

 ワタシがいたんですが、ブログを始める時に、読書と書いたら、読書好きな人と何か

 交流が出来たり、いろんな本の読み方なんか勉強できるかもしれない。

 あれだけ、図書館やら、古本屋なんかを覗いて、余暇な時間を費やしているのですから

 「読書会」なんかで、本好きな人とじかに、交流して色んな読み方や、どんな本を皆が

 読んでいるのか、とても興味があるんですが、なんせ、人見知りが一種の病気と言って

 いいほど、人前に出ることが、出来ないワタシです。

 ただ、ただ孤独に、読書をし、一人で感動し、ここが好きだからノートに写しておこう

 下手な感想なんかも、添えて備忘録みたいなノートを何冊も、ダンボールの中に積みか

 さねては、本を十分読んだと思い込んでいるんです。


  何度か、ブログにも書いたり、コメントなんかにも書いたと思いますが、ワタシは

 この言葉が大好きなんです。


 『本は人との出会いの中で

    何度も生まれ変わります。

  人は本との出会いの中で

    何度も新しい自分を発見します』


  ワタシは、はっきりと断言できます、字も読めない時から、本しか友達が

 いませんでした。とにかく、おかあちゃんの「お荷物」だったワタシは買い与えら

 れた、当時は、絵本ですが、何度も、何度も、繰り替えし、自由時間(ほったらか

 された時間)をそれに費やしていました。1の趣味の範囲です。

 なんとか字を読めるようになってからは、近所の本屋さんでツケで本を持って帰れる

 贅沢な子供でしたから、少年少女文学全集なんていうようなものを次から次と読破し

 ていきました。ちっとも選んで読んでいるのではありません。本屋のおじちゃんが

 コレ買ってもらいと言って、持って帰らしてくれる本です。この本屋のおじちゃんは

 おとうちゃんの遠い親戚ですから、少女雑誌の付録を山のようにくれたりもしました。

 
  そんなことで、ハタキで追い払われるなんてこともない、居心地のよい本屋が子供の

 ころからあったというのも幸いしています。


 本を好きになる、条件が揃っていたということです。

 しかし、小学校を卒業すると同時に、「お荷物」は中高一貫のチャペルのある女子だけ

 の学校の、しかも寮に放り込まれます。

 ですが、ここでも読書の時間は普通の生徒より半強制的に多いんです。まずはテレビの

 時間が毎日1時間、しかも、中1から高3までも寮生全員が、娯楽室のテレビに釘付け

 「ベスト10」です。音楽番組は高3のお姉さん達のチョイスです。たいていは音楽

 番組を、毎日やっていた時代ですから。悲しいけれど、特別な延長時間などは許されませ

  
 ん。余った自由時間は部屋に帰って読書です。宿題や勉強時間は夕食前にたっぷり時間を

 とっています。今思えば、そんな規則正しい(?)生活を6年間もやってきたことは、ワ

 タシにとって、中途半端な親に躾てもらうより十分価値のある体験だったと思います。

 だからか、ワタシ、反抗期というものがありません。

  もういいでしょう、と言われますが、その後4年も22歳になるまで、寮生でした。

 
  さて、読書を趣味と言うことに、ちょっと抵抗があるものの、人生の中で、本を読むと

 いう楽しみを子供時分から持つことができたことは、よかったと思える事柄です。

 この記事に、読書は趣味です、と本当は言いたくないんだと、さっきから何度も書いて

 います。どうゆうこと?好きなんでしょう?なら趣味でいいじゃないですか?

 
  何年か前に、趣味には2つの意味がると同じように、読書には2種類の読者があると

 いうことを知りました。目からウロコが落ちまた。目が開いたということです。

 三島由紀夫大先生の本に「文章読本」と言う本があります。この手の文章の書き方とか

 文章技法の本は山ほどありますが、ワタシは文章を書くことに特に興味はありません。

 なんせ、人のブログを読み続けて、何年も経ってから、恥ずかしながら。。。小野田さん

 みたいな、いいんでしょうか?ワタシが書いても。。。図々しくも1年4ヶ月書いていま

 す。こんな風な文章が書けたらいいな、でもそんなこと、自分が素敵な文章を書くなんて

 こと?夢のまた夢。でも、ブログならいいでしょ。と最近は居直っています。

  
  三島大先生が書いていようが、「文章読本」で文章を勉強することなんて、露ほども

 思っていませんでしたが、本屋さんでふと手にとって、いつものように最初のページを

 読みました、第一章 この文章読本の目的というところです。


  ぐいぐいと引き込まれてしまいました、30分経過。。。本を手にカウンターへ向かい

 ます。誰でも覚えがあると思います。この本は買わなきゃって思いです。

 フランスの作家チボーテ(これもその時に始めて知った名前です)という作家の言った

 ことなんですが、小説の読者を2種類に分けています。

 「普通読者・レクトゥクール」と「精読者・リズール」です。

 まず、「普通読者」について、『小説といえば、何でも手当たりしだいに読み(趣味)

 という言葉の中に抱含される内的、外的のいかなる要素によっても導かれていない人』

 一方、「精読者」についての定義は「その人のために小説世界が実在するその人」で

 あり、また、「文学というものが仮の娯楽としてではなく、本質的な目的として実在す

 る世界の佳人」であるというのです。

  そして、まだまだ、三島大先生の辛辣な審美眼で「普通読者」と「精読者」の違いを

 これでもかと比較しているのです。明らかに、目の開いたワタシは完全な「普通読者」

 であります、まぎれもなく。

 文章を味わうということが出来ていないのです。少しは出来ているかもしれません。

 いいえ、やっぱり、わかっちゃいません。物語に一喜一憂しているだけです。

  だから、ワタシは趣味を読書ですということに、大きな、失望と悲しみを持って

 小さな声で言うことにしています。

 好きだけど、煙たい本、三島由紀夫の「文章読本」いつの日か「精読者」になるために

 目が覚めたワタシは、もっと、もっと、本との出合いを大切に、何度も再会をしながら

 始めて出遭ったときのような、新鮮さと、驚きを持ってその自由時間を楽しみにしたい

 と思っています。

 あーいけない、また眠くなってきました。

 でわ、今夜はこの辺で。

 ピグのお庭で収穫してから、お風呂に入って寝ることにします。