桜が五分咲きです。まっピンクの下で幕の内を食べたいですね。




 ワタシは一人子で、両親がそれぞれの人生を見つけて、違う方向へ歩き始めましたので


どちらかが、ワタシの手を引いて道連れにしないといけません。もちろんワタシの感情なんて


「どっち」って聞かれたこともありませんので、まっすく前を見ていたように覚えています。


父は新しい家庭を築く、母はまだ一人、でもやりたいことを見つけてその方向へ一生懸命です。


二人とも、二人で一緒に家庭を築いていくことに、幸福感を感じなかったのでしょう。


残念ですが、やむおえません。この残念と言う感情は、当時のワタシも感じていません


でしたが、しばらくして、物心もつき他の家庭を垣間見るようになってから芽生えました。


 残念と言う言葉、期待していたのに。。。出来なかった、完成しなかった。


淋しいとか、空しいとか、そんな感情に裏打ちされた言葉だと思います。肩ががっかりと


落ちます。負のイメージです。最近はあの人残念な人やねとかちょっと違った使いかたを


しますが、うまくいかない後にくる感情に違いありません。




 他所のお家でご飯をよばれたらあかんよとくれぐれも言われてるにもかかわらず


あの、輪の中の自分が、やっぱり楽しくて誘われたら、つい上がってしまいます。


楽しい時間の後は、毎回、残念な気持ちでいっぱいになるくせに友達のおかあちゃんの


作ったたいして肉の入ってない、甘いばっかりのカレーをお代わりしてしまいます。




 うちは家業が喫茶店だったので、カレーは大きなレストラン使用の缶詰をアレンジして


オリジナルっぽさを出した、どちらかと言えば大人の男性向けの辛いカレーが売り物でした。


母は子供でもそんなこと容赦しません、辛いままのお店のカレーを食べさせます。


カレーは辛ーからきてんねんで、甘かったらカレーと違う。


 それでも小学生には、ちょと過酷な辛さ。うわーこの子泣いてるでぇーって、目も鼻も


びしょびしょになるのがうちのカレーでした。


ただ、お友達のところのカレーは、子供たち用におばちゃんが、リンゴの摺ったのを入れたり


 牛乳でのばしたりして手間をかけてくれてるんです。その手間のかかった子供用のカレーの味


が、胸の中を駆け巡って、お代わりしなさいよって言われて、1杯目のお皿を舐めるように綺麗


にして、両手で差し出すと大盛りにしとくわな。そんなおばちゃんとお友達との競争が、楽しけ


れば楽しいほど、帰り道残念な気持ちになるんです。泣いたりするような、悲しい気持ちでは


ないんですが、肩が落ちるんです。歌ともいえない鼻と喉の奥でフンフンフン。。。。


鼻歌です、嬉しいときのランランランじゃなくて、自分の気持ちを紛らわしたい時の


フンフンフン。。。です。


 諦めると言う気持ち、子供にはちょっと切ない感情です。お店の裏の厨房へランドセルのまま


入っていくんですが、〇〇ちゃんとこでな、カレーよばれてん、子供用のカレーや本物と違う。


 もっていきようのない気持ちを、子供らしくない計算した言葉で、母の笑顔を誘います。


母がその時、機嫌が良かったら大成功です。ワタシにだけに笑顔を向けてくれます。





 その母と、母が亡くなった年に車椅子で、桜を見にいきました。


生まれて、始めて一緒にまっピンクの下で、幕の内を二人で食べました。


幕の内の中にピンクの欠片が散って、おかあちゃん、可愛いから桜も一緒に食べよって、


おにぎりに付いたピンクもほうばっていました。来年はあんた一人で来るんやで。


 約束は絶対守る人でしたが、次の年、ワタシは一人で同じ公園の木のピンクを食べました。

 
 そして、そのことを今年も思い出します。



 皆さんは子供の時のカレーの思い出どんなんですか? そしてお花見は?


  知りたいわあ。  でわ、今夜はこの辺で。