先だって、残念なお蕎麦やさんのお話をしましたが、けっこう皆さんも残念店をご存知なん

ですね。コメントの中に「人が喜ぶことをしなあかんよ」って言うおかあちゃんの言葉に

それ難しいんですよね、と言うのがありました。最近です、ほんとの意味がわかったのは

お店してたら、ほんとに喜んでくれてるのかはすぐわかります。次来てくれますから。

でも、商売してなかったら、相手の顔や態度を見て喜んでるのかどうか判断しますが

それが本当がどうかは?どうでしょう?勝手に「喜んでくれた」と自己満足していても

それっきりということは迷惑やったかもしれません。むずかしいところです。


ビト・コルリオーネの台詞は、名台詞がたくさんありますが、ワタシはパートⅠとⅡで二回

言った台詞「どしたらいいか解らない時、相手の気持になったらすぐ解る」

相手の気持を読む、感情の違う他人のことを解るには、その人の立場に立てばいいこと。

マーロン・ブランド扮する、両頬にチッシュを入れてモゴモゴ言う台詞は「簡単なことだ」

と続いたと思います、記憶が正しければ、間違っていたとしても、ワタシは納得しました。


相手の心を探る、言葉は悪いですが、何を欲しているのか?すーとその人になってしまえば

簡単なことです。KYと言う言葉が一時流行ましたね。KYけっこう多いです。


皆が皆、モノ解りのいい人間で、喜んでもらえることが自分の喜びと思える人間ばかりでも

これ、世の中がおもしろくない。気負わなくても、ちょっとしたことで人が喜んでくれたら

自分も嬉しい気持になるのは自然な流れですよね。自分が辛い、キツイ時こそ、そんな嬉しい

気持になれたら。結局自分のためなんか?難しく考えないでおきましょう。


さて、今日もこんな「人が喜んでくれる」それが自分の喜びと言うテーマ?でお話するのも

ワタシのとっておきの愛読書を紹介したいからです。難しい文学書でもなんでもありません。


$dibbi dubbi daaなブログ


 これ、アマゾンがら写真借りてきました。グルナビってご存知ですよね。もちろん。

 日本最大級の飲食店検索ガイドです、そこで「オソトでdeゴハン」と言う感動体験エッセイを

 募集し、34作品を一冊の本にしたんです。本の帯には「前代未聞の感動飲食店ガイド」と

 書いてあります。買わずにいられません、買いました。もう5年くらい前だと思います。

 何人の人に貸してあげたやら、誰かが失くしますから、「絶対返しね」

 ちゃんとワタシの前にあります。全部、朗読してあげました。ツレはおお泣きです。

 感涙食堂ですから、朗読しながらも詰まって読めないときもありました。ツレノ仕事

 仲間のおじさん達も皆回し読みです。数週間帰ってこないときもありました。

 おじさんたちのまた知り合いが回し読み、こんな元とった本はありません。




 外でゴハンを食べるということは味もそうですが、小さな感動があれば、大げさですが

 感じのいい接客だったり、店主の心意気が感じられたり、食べた味よりも気持がいい

 おいしいもの言うたかて、そんな想像を絶するような料理、テレビの番組での一皿何万円も

 するようなお料理、出会える人は出会ってください。ワタシは近所のトンカツ屋や、ええとこ

 ステーキハウス、蕎麦屋やラーメン屋やらそんなとこですが。いつも決まったところへ行くの

 は、味ももちろん好みに合ってるのと、感じがいいからだと思います。その感じがいいのは

 心が喜んでるんですよね「喜ばしてもらってる」んですよね。




 この本今アマゾンで88円から中古であります。泣きながら読むグルメガイドです。

 人の心の機微を知りたい、ぜひともそこを解る人間になりたいと思われる方必読です。

 なんせ、体験記ですから。行間を深読みする必要がありません。


 お店でお客さんが喜んでくれる仕事をするのは、当たり前のことなんですが。なんせ

 商売、1円でも多く儲けたろ、そこのところも、もちろん判ります。十分判ります。

 ただ、それが前面に出てきてるお店に出会うと、怒りより悲しい気持です。人間対人間

 食を通してのコミュニケーションの場、暖かいものが流れないといけない場所です。

 
 おかあちゃんはそこのところどうやって判ったんかな?ほったらかしにされたワタシには

 「商売の鬼」にしか見えなかった時期が長かった。自分の子供喜ばせんで、人ばっかり

 喜ばせて、なんやのそれ? 


 
 認知症が進んでいくおかあちゃんと何年ぶりに会って、8年間の介護、介護は最後の数年

 ですが、お料理作って、洋服買いに行ったり、31アイス食べに行ったり、初めて親子の

 交際(?)があって、おかあちゃんが言うてたことの意味が段々わかってきた。

 わが子が可愛くない親なんてどこにも居てない、だけど親が先に死ぬのはまあ、順番や
 
 大人になるまでずーと傘さしてやれるかな?そんなことできひんやろそやから、おかあちゃん

 は雨が降っても学校へ一回も向かえにいかんかった。濡れたら冷たさがわかるんや。

 おかあちゃんはな、あんたの人生応援してやりたいのは山々やったけど、親に後押しして

 もろうた人生程、つまらんもんはないねん。自分でわからなあかんのや。親の言うこと

 聞いてええ事なんて100に一つもあったらええほうや。


 これ極論ですが一理あるなと思いました。こんな話、大人になって会話がないんで聞いた

 ことなかったんですが、最後の8年間は十分おかあちゃんの人生の山やら谷を覗くことが

 できました。つ突き落とされた崖からよじ登って初めて一匹のライオンとして生きていける

 ワタシみたいなあかんたれ、スポイルされてたらどんな大人になってたか?

 
 おかあちゃん以外は甘い他人ばかり、おとうちゃんが寮のある学校を選んできたとばっかり

 思うてたけど、本当は二人で決めたらしい。二人の都合もあったやろうけど、ワタシのため

 を思ったところもあったと思います。実際二人の人生が別々なら早く自分を見つける旅に

 出したほうが本人のためやと今は思います。


 おかあちゃんが「人の喜ぶことをしなあかん」と言う言葉、かあちゃん自身が喜びたかった

 んやと思います。小さい時から傷ついて人の優しさが身に沁みた人やからこそ、早くにわか

 たんかな。なんか切ないけどようわかりました。かってなブログ、でもつぶやきですから

 100に一つもええことない、親の言うこと、これは家のことだけですから。

 もちろん、アホクサーと笑い飛ばしてくださいな。今日はお昼の更新です。


 ツレが遊びに行ってますから、一人ごはんを今から食べます。

 では、この辺で。