晴れ

なんて、子供のころの日記には必ず、天気をまず先に書いたモンです。

晴れ、曇り、雨、もっと細かく書き出したのは、ちょっとお姉さんになってからかな。

ブログを始めるまでは、日記を毎日書いていました。母の介護日記も含めるとダンボール

一個はあると思います。まだ捨てません。全部焼いてしまう時がくると思いますが、まだその

時期ではないかな?でもそろそろです。本日も晴れです。



昨日、呑みすぎたのか調子が悪くソファでヘタっていたので、マッサージをしました。

ワタシの特技はお料理でも、お裁縫でもありません。たぶんそこらへんのマッサージ屋

さんよりは、上手いと思います。コリコリ大賞金賞のツレが言うのですから、間違い

ありません。さっと肩に手を当てただけで、どこがツボがわかります。

まあ、ゴールドフィンガーと言うところでしょう。美貌同様自慢できます。(聞き流して)



ソファーからCDの棚が見えます、ふっとコーちゃんこと「越路吹雪」のCDが目に止まり

「おーー越路吹雪かあ」

「ラストダンスはわたしに」から始まります。

まあー音痴ですわ。ごめんなさい。ちょっとは歌うワタシから言わせると音はずれてます。

宝塚音楽学校出身とは思えないほどですが、この「コーちゃん」はおかあちゃんにとって

今で言うところのアイドルでした。「スター」と呼ばれた時代の雲の上の人です。

コーちゃんのリサイタルは欠かさず行ってました、帰りにスエヒロでお肉食べてくるねん。

切符の取れにくい日劇へも行ってました。ストレス解消してたのかもしれません。




仕事が大好き、商売が大好き、中学から寮に放り込んで、子育てせんでいいようになって

からは、喫茶店と旅館、小料理屋だけだったのが、もう誰にも遠慮しなくていいんですから

小料理屋を売って、ミニクラブを開店。もちろんワタシが出入りなんてとんでもないことですが

裏の厨房やら、休憩の部屋なんかお昼に文ちゃんとなら出入りOKでした。

学校が休みといっても、文ちゃんしか相手にしてくれないので、ひっつきもっつきです。

文ちゃんは喫茶の方も、クラブの裏方も全部マネージメントしていたようです。

高校生になってから、夜こっそりのぞいても、あまり叱られないようになりましたが、

のぞくだけです。のぞいただけでも何やってんのか全部お見通しです。




おかあちゃんはめったに着物は着ません、スーツを着ていました。シャネル風のスーツです。

だから、一般に言うところの水商売のママさんには見えません。

それが、まあワタシにとっては救いと言えば救いでしょう。おとうちゃんはもう他所のおとう

ちゃんになってるくせにワタシのことだけ干渉して、中途半端な干渉ですけど。

絶対に喫茶店以外のお店に近づくなと時たま、学校へ迎えにきては念を押してました。



おとうちゃんとはおとうちゃんが気が向いた時だけ、音楽会に連れて行ったり、バレーを

観に行ったり、帰りにフルコースのご飯を食べに行きます。ちゃんとナイフとフォークと

綺麗に使うお食事です。別にワタシに逢えて楽しそうでもなさそうでした。

勉強のことやら、おばあさんに逢いに行きなさいとかワタシは心の中で、今で言うと

シラケきってました。


おかあちゃんの仕事も、好きでも嫌いでもなかった。でも学校では影で皆が「水商売の子」

と言うのを知っててだまってるということをちゃんとわかってたから、なんか本当の友達

をつくるのが怖かったような気がします。


「今日はどこへ行ったん?」

「チェホフの桜の園や」

「はあーーー、そんなもん、連れていかんでも、一人で行ったらええのに

 ほんで、洋食食べたん?」

「うん」

「なんで、あの一家はそないに気取らな暮らせんのかな?皇后陛下じゃあるまいし

 鮭の皮食べて何が悪いねん」



 
この鮭の皮事件は、おかあちゃんがまだ本家に居た頃、鮭のムニエルみたいなのを

フォークとナイフで食べていて、皆が皮を残したのに、おかあちゃんだけ食べて

なんか馬鹿にされたみたいなんです。食べてもいいはずなんですが、あの一家は

皆揃って、皮が嫌いで残したんだと思います。アホ臭い話ですが、このことを

根にもってるのは、おかあちゃんで、いつもおばあさんの話になると

「皇后陛下やあるまいし…」が付きます。ちょっと気取ってるとゆうより

上から人を見下げるような態度で暮らしてたと思います。でもワタシ皇后陛下は

人を見下げたりしない。そんな日本の女の代表やのにそんな人じゃないと思ってました。



越路吹雪の話からすっかりそれてしまいましたが、以前のブログに書いたかもしれません。

おかあちゃんは大ファンでもありましたが、彼女の歌を歌いたいためにクラブをつくった

といっていいほど、この歌を歌ってました。もちろんワタシも歌いますが、おかあちゃんの

言うところの一銭にもならんのはワタシの歌で、おかあちゃんはプロの歌です。





 「ろくでなし、ろくでなし」と言う歌詞の部分があるんですが、たいていおかあちゃんは

 その日の一番お金を持ってる社長さんの顔にむかって人差し指で赤とんぼを獲る時みたいに

 グルグル回しながら歌うんです、社長さんはその日ボトルにお酒が入っていても一本

 キープしないといけません。おかあちゃんの「ろくでなし」はちゃんとお金になるんです。


 
 カウンターの裾からそれ見て、文ちゃんもワタシもいつも笑ってました。

 「アホなおっさんやな」

 「うん」

 「明日、学校やろフルーツの詰め合わせしといたから、皆で食べ」

 文ちゃんはかいがいしく、寮へ帰るワタシにいつも美味しいモノを詰めて持たせて

 くれました。お客さんに出すフルーツだから、高級なフルーツです。


 マッサージをしながら、コーちゃんのCDはすっかり最後の曲「愛の賛歌」です。

 エディット ピアフの曲、生涯マネージャであった岩谷時子が詩をつけています。

 

 コーちゃん大好きなおかあちゃんでしたが、「ろくでなし」以外の歌を聴いたことが

 ありません。「えー歌過ぎて、歌えん」といってましたが

 何年か前に、

 「おかあちゃんな、パリのピアフのお墓へ薔薇の花持っていってんで」

 「はあーーいつフランスへ行ったん?」

 ワタシもおかあちゃんも、別々の人生を歩んできたので、大学を出てからはおかあちゃんが

 病気になるまで、何年かに数回会うだけの今思ったら淋しいお付き合いでした。

 中年から壮年にかけて一人でどんな人生だったのでしょうか?

 「ばら色の人生」だったようには思えません。ずーと誰かを思って「愛の賛歌」を

 口ずさんでいたのかな?

 おかあちゃんの胸の中にぽっかり空いた穴があったとしたら、娘のワタシでは埋めること

 の出来ない穴。男の人で空いた穴だから、男の人じゃないと埋められない。

 たぶん、大人の女のワタシが察するところ、穴が空いたまま生きてきたんだろうな。

 すっかり、おかあちゃんの女の人生劇場を語ってしまいました。

 ここまで、飽きもせずに読んでいただきました方には何かお返ししたい気持ですが

 そうもいきません。よってこのブログを読んでくださった方に「おかずブログ」を

 いまからアップいたします。

 でわ、この辺で。お疲れ様でございました。