お昼は回転寿司へ行きました。

 お昼にはちょっと早かったのと朝が遅かったので、茶碗蒸しを先に


 食べたらお腹いっぱいになって、損した気分ツレはパクパク食べています。


 コーナーに座ったんですが、ちょっとしたら息子(60歳前後)と母親の


 二人が入ってきました。一目見てわかります。そっくりですから。


 どうしてこうも息子と母親って似るんでしょうか、初老とすっかりおばあちゃん


 ですよ、どこがどう似てるって、そっくりなんです。

 
 うちのおかあちゃんもあのくらいの時、回転寿司へ連れてきたら、びっくりして


 帰りの車の中で、「恥ずかしぃーて、よう食べん」と言ってました。回ってきた

 
 寿司海老と雲丹とイクラを食べて、メロンも召し上がりました。


 「おかあちゃん、回らんかていいから、今度から買うてきてな」


 「はい、はい」


 お寿司が回って来るなんて、きっと喜ぶと思ったら子供やなかったんだわ。


 普段は子供みたいなことばっかり言うてるくせに。

 
 痴呆症になって、子供になってると思ったら大間違い、感情は豊かでしっかり


 大人の部分もあって、ごまかせないんです。


 さっきの、コーナーの向こう側に座った親子が気になって、チラチラ見るともなく


 見ていたら、なんと歯が一本もないおばあちゃんがさざえの軍艦をたのんだかと


 思ったら次はミル貝、数の子と食感のいいものばかりでもそれって歯があっての


 ことだと思うんですが、上手に歯茎だけでお口をつむんで食べていました。

 
 まあ、ワタシも歯の無い時期が幼少時人より長かったので歯茎でなんでも食べては


 いましたが、たくわんなんか平気でかじってておかあちゃんのお店のウエイトレスの

 
 お姉ちゃん達にいつも笑われていました。


 「ちょっと、いーしてみぃ」と言っては歯のないワタシを笑ってました。


 たいてい、学校帰りにお店に寄りますが、その時間はおかあちゃんは昨夜の


 お酒を抜くためにサウナで汗を流して昼寝しています。裏の厨房で文ちゃんが


 夜の方のお店の仕込みをしています。前にも言ったように彼女がワタシが6年生に

 
 なるまでの、教育係でした。中学から寮へ入ったので先生とシスターの寮長さんが


 なんでも、いろんな正しい(?)ことを教えてくれました。


 それから、大学を卒業するまで、一日もおかあちゃんと一緒に暮らしてないのに

 
 「あんたね、そうゆうものの言い方、おかあはんにそっくりですぞ」


 ってよくツレに言われるんです。


 「おとうさんに似てるなあとつくづく思う時もあるけど、最近はおかあはんやぞ」


 いやだあーーどっちに似てもいやだあー


 女の子は父親、男の子は母親に絶対似ると思います。皆回りの人、そうやもん。


 「おとうちゃんに似てるから、あんたのことあんまり好きやないね」

 
 はっきりモノを言うおかあちゃんでした、けどワタシ鋼鉄な心の持ち主で


 傷つかなかったんです。大好きな絵本作家「佐野洋子」は4歳の時に

 
 手をつなごうとして、母親に振り払われた時から母親が嫌いで、きつい関係の


 まま大人になったと書いてます。でもたくさんの兄弟の中で最後まで痴呆の


 母親を診たのは佐野さんだったんです。おかあさんの名前はシズコさん、昨年


 佐野さんは乳がんで亡くなられましたが、「シズコさん」というエッセイを


 書かれています。おかあさんとご自分のことを丁寧に書いておられます。


 鏡をじっと見ることなんて、若い時からほとんど無いワタシですが、お風呂の


 鏡の湯気でかすんだ向こうにおかあちゃんが映ってます。


 母と娘の交差しなかった人生ですが、こうして大人の女になったワタシが


 あの時のおかあちゃんの気持がわかるんです。

 
 よその人が好きになって、その人との生活のことばかり考えてるおとうちゃん


 なんて、好きやったけど、嫌いになったってしょうがないやん。


 ふと見たらおとうちゃんと同じ目をして見上げてるワタシをみたら


 「あんまり好きやないねん」って言うてしまう。女やからしょうがないやん


 回転寿司食べに行って、ブログ書いてたら、えらいこと、おかあちゃんを


 褒めてしもた。自分がおかあちゃんやゆうこと忘れるぐらい女を生きた人


 でした。あっぱれ、おかあちゃん。ワタシ、おっさんになりましたわ。


 でわ、この辺で。