暑いということはもう書きますまい。




 お昼、しばらく行ってなかった中華屋さんへGO


 懐かしいお味の冷やし中華と五目ワンタンです。
 

 「五目わんたん?麺はいらないんですか?」


 「はい、麺なしです」きっぱりとした口調。


 えらいと思います、褒めてやりたいワタシ


 なのに、すかざず


 「餃子ください」って、気効かしたつもりの、ツレ

 
 「きっとお腹空くって、食べなはれ あんたらしゅうないよ」



 ワタシらしゅうにやってきたから、こんなんなってしもうたでしょうが。



 知らんよ、もう脳卒中で倒れても。



 と言いながらも、泣き泣き餃子をほうばるワタシ。



   今日はここでお別れ、仕事の打ち合わせで事務所に



   クラブのママさんと、そのママのシャンソンのお仲間が来られます。



   ので、とっとと引っ込みました。






 今日はこの間の誕生日の日におかあちゃんに



 お蝋燭とお線香を焚きながら、母子で



 いろんな事を思い出したことを書こうと思います。


 
 いつもの、おかあちゃんネタなんですが、








 ワタシ、プロフィールに書いてますように、読書やDVDやお料理やなんか



 ホントに普通のおじ、おばさんです。



 近所の子に「おばちゃん」と呼ばれますから。



 ちょっと、違うかなと言うところは、



 3シーズン、たいていアロハを着ている



 いつも、運動靴をはいている



 と言った見てくれの違いではなく



 ワタシの年代の人は歌わないという歌が、じつわ、うまいんです。



 俗に言う「股旅演歌」というやつです。



 これ歌うと、皆ちょっとびっくりします。



 おかあちゃん仕込みです。



 子供だから 歌詞の内容はわかってません、もちろん。


 
 あまりの、上手さに商店街の歌自慢の常連でした。



 司会は町内のサンタクロースでもある資生堂のおじちゃんです。



 朗読同様、年配の人は泣いていた人もいました。





     「どうせ一度はあの世とやらへ


       落ちて流れて行く身じゃないか


         鳴くな夜明けの 鳴くな夜明けの渡り鳥」



  「流転」という歌なんですが、十八番は「大利根月夜」です。


  ワタシが歌って、おかあちゃんが踊りました。


  母は小唄、端唄、お三味線の名取でもありましたが、演歌の踊りは?



  振り付けは自分で考えたといってました。


  
  子供神輿を担いだ後なので、ハッピ姿に赤い紅をつけてもらってます。



  天童よしみの子供時代を想像していただいたらと思います。






 
  「おかあちゃん、ひょっとしたら、ワタシのこと歌手にしたかったん?」


  「とんでもない、そこまで上手ちがうやん、おかあちゃん仕事忙しいて、


   あんたのこと、かもうてあげられへんやろう。あんたが近所の人に



   可愛がってもらえたら、それが一番ええことなんよ、おかあちゃんが



   教えられへんこと、みな教えてくれはるやろ」



  「うん、けど、こぶし効かすとこは教えてくれん」



  「あほ、そんな高尚なことはおかあちゃんしか知らんがな」




  母に高尚なことを教えてもらった覚えはないんですが、


  
  

  「なりはやくざにやつれていても

   月よ見てくれ 心の錦」

  



             「 惚れていながら 惚れない素振り

               それがやくざの  恋とやら

               二度と添うまい  街道がらす
 
               阿呆 阿呆で  旅ぐらし」



   日本男子の心意気、


   人のために自分を生かす


   幸せを捨て旅に出る


   女房、母を泣かしても男の道を孤独に歩く
  
  

   「哀愁」とか「せつない」とか「人をしのぶ」とか


   なんか胸がキューとなるような感覚が


   屋台のりんご飴で舌を真っ赤にしながらも


   わかってたような子供でした。


        
          でわ、今夜はこのへんで。