僕には好きな人がいる。
もちろん、嫌いな人もいる。

好きな人は、そばにいたいしいて欲しいし、幸せになって欲しいし幸せにしてあげたい。

でも、嫌いな人はその正反対で、できるだけそばにいて欲しくないし、あわよくば幸せにならなくていいとさえ思ってる。

この二つ、滅茶苦茶反対のことのようで、実はそう離れた感情じゃないのかも、と最近思う。

愛憎相半ばとは言うけども、まさしくその通りで、あれだけ好きだったものが、一瞬にして裏返ることがある。

逆に、あんなにも嫌いだったものが、気づいたら好きになってることもあるかもしれない。

好きも嫌いも、前向きと後ろ向きっていうベクトルの違いはあっても、自分の人生に大きく関与してるっていう点ではなにも違わない。


一番冷たいのは無関心だよね。


その人が自分にとってどうでもいいと思ってしまうことが一番冷たいこと。

なんだけれども、残念なことに、世の中にはそんな人の方が圧倒的に多い。当たり前だけれど、何百人も何千人も好きになったり嫌いになったりできるキャパシティを、人生は持ち合わせてない。

好きになることはもちろん幸せなことだろうけれど、それと同じくらい、嫌いな人がいるっていうことは、そこから何かを得るチャンスでもあるんじゃないかなぁと、思う。

反面教師というか。


恋愛に関して。

恋愛における好き、っていうのは、いくつか段階があると思う。

まず、その人と知り合って、あ、この人と付き合いたいな、と思う段階。

そんで、あ、この人といて楽しいな、とか、もつと深く繋がりたいな、と思う段階。

そして、ああ、きっと死ぬまで、この人と一緒にいるんだろうな、って感じる段階。


さっき、好きと嫌いは表裏一体で、すぐに裏返るとは言ったけど、こと恋愛においてでは、ひっくり返るのは第二段階までじゃないかな、と感じる。

括り方によっては、それを恋とか愛とか、甘ったるい呼び方をするんだろうけど。

どんな呼び方でもいいけど、最後の段階まで育った、育てることのできた関係っていうのは、ひっくり返ることすらなさそうで。

好きと嫌いを内包して理解して、どっちもをまるで自分のことのように受け入れて、それでもなお、側においておきたい関係。

それが最後の段階の感情。

ひっくり返ることがある、ということが好きの定義だとしたら、これはもはや、好きだなどという小さなくくりで結べる関係ではなくなってきていて。

あるいは愛で、あるいは依存で、特定の呼び名なんかない、その関係を作る人たちだけの絆で。

そういうのを見つけられたら、本当に幸せなのだろうな。


僕は見つけたと思っている。

けれども、それが本当に、死ぬまで途切れない糸なのかは、死ぬまで分からない。

だから、死ぬとき、ああ、やっぱり、最期まで一緒にいたね、って、笑えるような、関係でいたいね。


なんの話だ。

そんな感じで。