たすけて。


っていいたいときは

どこへ駆け込めばいいんだろう。


ほんとうに助けて欲しい時は

声が出ない、声にならない。

多くは望まずに、子どもの幸せだけ考えて。

どうしようもない夫を抱えながら、それでも捨てないで。

勝手に借金と女作るような、そんな人見捨てないで。


がんばってがんばって働いて、いつも。

折れそうでも壊れそうでも懸命に生活して。

頼れる実家もないのに、そんな叔母を。

甘えることも知らずに母親を支えようとしてる

そんな従弟と従妹を。


どうしていつも。

乗り越えて乗り越えてきたひとに、まだ何かを課すの。

「ひとつ乗り越えても気を抜いたらまたやられるかもって」。

そうかもしれないと、気を張り詰めて生きているひとに。


世界はやさしくない、そんなことは知っている。

世界は甘くない、そんなことはよく知っている。

それでも、そうだとしても、こんなことは。

あんまりじゃないか。


初めての子どもが逝って。

旦那は外に何度も女を作って、遊びで借金を作り続けて、仕事も続けなくて。

叔母は懸命に稼いで、何とか生活しながら子どもを育てて。

どうして、どうして、どうして。

あたしに恵まれるもの全部、あの子たちに降り注げばいいのに。


あたしは無力で、何ひとつ役に立てない。

早く強くなって、早く自分の足で立って。

そうしたら、出来る限りのことをしたいんだ。


本当に、がんばらなきゃ。

そんなに酷くなかった、けど。

言葉を吐くことが、醜くて赦されないような気がした。

強迫観念も、SADの症状ではある、かな。


動かなければ始まらない。

そう思って何かをする度に、自分が自分を打ちのめす。

今は這い上がることも覚えた気もするけど。


ディランディ、やっぱり君のようにはいかないや。

ひとを大切にするから自分も大切に出来る。

自分を愛してやれるから他人を愛せる。

信じるから信じられる。前向きで寂しがりな君が云う。

乗り越える為に命を失った君が云う。


やってみればいいじゃないか、って。

確かに君が云うのに。